『過ぎた日を想う』
過去を振り返ることが年々増えてきたなと思う。もし自分の人生に心底満足していたなら、ここまで振り返ってたのかな。
人生をやり直せるならいつからがいい?っていう質問をたまに耳にします。やり直したいなんて思わない!前しか見てない!って言い切れたら格好いいですね。
私の場合は割と頻繁に、自分に対してこの問いを投げかけることがあります。答えはだいたい、高校生から。それか、高校も選び直したいから中学生の進路を決める頃からになるかな。
もしそこで別の道を選んでいたら、今とは違った人生になっていたのか。今頃どこで何をしていたのか。しかし思い返してみても、当時自分が選んだ道以外に選択肢ってなかったような…
それでも過去か未来かどっちに行きたいかと問われれば、即答で過去!
ということはやり直したいんだね、やっぱり。それは別の人生に興味があるからというんじゃなく、今の人生に納得がいってないからだと思う。納得できる部分もあるけど、全体通して見るとやっぱり納得いかない。現状に対して「なんで?」と思う部分がたくさんあるから。けどそれもこれも全部自分が選んできたこと。だから不満も満足も全部受け入れないと、、ってことになりますね。
昔の自分に会いたくなって、過去に働いていた場所を再訪したことがあります。
知ってる人いるかなとかそういうことじゃなく、ただそこの風景をもう一度見たくて。
もう従業員じゃないから内部には当然入れないけど、建物の外観とか中の雰囲気とか、あぁこういう感じだったなーこのドアから毎日出入りしてたなーとか。
懐かしさと、退職してから10年も経つのに何も変わっていない安心感がありました。
無意識に当時の社員さんの顔を探してしまってましたね笑 見当たらなかったし、私も気づかれてなかったと思いますが。たぶん。別に気づかれても良かったけど。
退職後、結果的にここでの仕事が足掛かりとなって今の仕事に繋がりました。
だから当時この仕事を選んだのは正解だったことになる。…けど間違いだったかもしれないと今は思う。思ってしまう。。
自分の経験で言うと、人生にタラレバは尽きないなと思います。言いだしたら本当にキリがない。なんなら生まれるのがあと10年遅かったら良かったのにとか。両親が出会うの早すぎたわとか。何の根拠もないのに。
ドラえもんの道具で過去に戻ってそこから人生をやり直しても、満足してたかなんてわからない。もしかしたら今よりもっと辛い状況になってたかもしれない。隣の芝はどこまでも青いんだろうと思います。
自分がこれからどこに向かうのかまったくわからないけど、たまには過去に戻ってみるのもいいことだと思う。くよくよしたっていいんだよ。そこで何か気づきがあるかもしれないし、なくてもいいし。
この先後悔が消えることはきっとないけど、満足100%になることもたぶんない。
行きつ戻りつしながら歩んでいったらいいのかなと思います。
『空が泣く』
雨が降る様はしばしば「空が泣く」と表現されることがあります。「今にも泣き出しそうな空」みたいな歌詞が誰かの曲にあった気がします。「空の機嫌が悪い」とかも言われるし「涙雨」って言葉もありますね。
空から水が落ちてくる。その光景を見て泣いてるようだと感じた人は、きっとそこに自分の気持ちが重なったんでしょうね。
自分が明るく元気で前向きな気持ちなら、空にも晴れていてほしい。できれば雲一つない快晴であってほしい。けど自分が落ちてる時は、空にもどんよりしていてほしい。なんなら雨が降っていてもいい。
こういう時に抜けるような青空を見ると、自分のテンションとかけ離れすぎてて辛くなるから。
空には自分の気持ちと同調しててほしいと思ってるんでしょうね、たぶん。
こっちの勝手な願いですが、それに空が応えてくれることもあります。そう思える時がある。元気ない時に優しい雨が降ってきたら、なんとなく自分に寄り添ってくれてるような、空から誰かが見守ってくれてるような気がします。
雨降りのあのサァーッ…ていう音が結構好きで。
なぜか癒される、自然のシャワーが地面を叩くあの音。暗い自分の心にスーッと入ってきて沁みてくる。このまま何時間も聴いていたいと思う。自然がくれる癒しに身も心も委ねて、気が済むまでずっと。
余談ですが「沁」という字、さんずい偏に心って書くんですよね。この成り立ちの由来が雨だったらなんか素敵だなと、今これ書いてて思いました。
雨は生活のためにも経済活動のためにも必要不可欠なもの。なのに何かと疎まれる存在でもあります。
傘やらレインコートやら持ち物は増えるし行動も制限されるし予定も変わるし、多少なりとも服は濡れるし。靴も選ぶし。その日に新品のカバンとか初出ししてたらそれこそもう心の中で泣きますよ。ますます雨が嫌いになる。
歩道を歩いてたら車が水たまりの水をはね上げて濡らされたことも。腹立った思い出もありますわそりゃ。
空の大号泣はさすがに困るし人間は太刀打ちできません。それでも、そこまでいかない程度の涙なら救われることもある。
お天気雨に遭遇したことがあります。
雲は出ていたものの青空も見える明るい空から突然に。傘は持っていませんでした。帰り道で、家まであと少しの所まで来ていたから雨宿りもしなかった。一応ハンカチを頭に載せて早足気味に歩きました。
普段見る雨は曇り空から落ちてくるからなんとも思いませんが、その日明るい空から落ちてきたそれは、キラキラしていてとても綺麗でした。冬のイルミネーションでよく見るような、上から下へ雫が流れ落ちていくあの感じ。雨粒が陽の光を反射して輝いていました。
お天気雨ってこんなに綺麗だったのかと思うと、苛立ちを感じていた自分の心がすっと晴れていきました。
後から調べてみると、お天気雨は縁起が良いものとされているそうで。発生頻度があまり高くない上に、仮に発生していたとしても自分が遭遇する確率は低く、珍しい自然現象だということです。
しかもこの日は私の誕生日でした。そんな日にこんな綺麗な縁起物を見せてもらえて、勝手に天から今年一年の幸福を約束されたような気になってましたね。単純ですねえ…笑
結婚式の日に雨が降るのも縁起が良いって聞いたことがありますね、そういえば。
きっと人それぞれ雨にまつわるエピソードってあると思います。それを聴いてみたくなった今回のお題でした。
『香水』
香水を買う時に心掛けていることがあります。
いい匂いだなと思うものがあっても、すぐには買わない。付箋みたいな小さな紙に店員さんが吹き付けてくれるので、まずそれだけをもらって帰る。時間の経過による香りの変化を確認するために。
香水にはトップノート、ミドルノート…というのがあるらしく、つけたてと何時間か経ってからの香りが変わるそうです。だから店頭でつけたての香りをいい匂いと思っても、何時間か経ってからの香りが気に入らないなら買わない方がいい。普段つけてる日でも、つけたては割と一瞬で、それ以降の香りを纏う時間の方が長いから。
この特性を知ったのは後になってからで、初めに小さな紙にシュッとしてくれたものを持ち帰ったのは、ある香水を買おうかどうか迷ったから。家でゆっくり考えようと思って。そしたら時間が経つにつれて香りが変わってきて驚いたのを覚えています。つけたてはいい匂いでありながらツンとしてて角が立ってる感じだったのが、しばらくするとその角が取れて、丸く甘い感じになりました。甘美な香りというのか…その香りが何とも言えず好きで、後日自信を持って購入に至りました。
つける人の肌質(体質?)によっても微妙に香り方が異なるそうです。
○○ちゃんがつけてる香水がいい匂いだからと真似して買っても、自分がつけた時にその子と同じようにいい感じに香るとは限らない。「こんな匂いじゃない」とがっかりするかもしれませんね。
だから自分の肌質にも合って何時間経っても好きでいられるものに出会えたら、それは運命の香水なんじゃないかなと思います。自信を持って「自分に似合う!」と胸を張れるもの。
ここでエピソードをひとつ。
以前勤めていた会社に、とてもいい匂いの香水をつけている男性がいました。たぶん私より20歳は年上の方だったと思います。
なんというか、、雰囲気に合ってたんですよね、その方の。決してつけ過ぎなことはなく、すれ違った時や私の後ろを通られた時にふわっと心地よく香る。大人の男性という感じがしてちょっとセクシーで、密かにうっとりしてました。きっとつけ方もお上手だったんでしょうね。
退職する前にどこの香水か聞いておけば良かったなと、後になって少し後悔しましたね。買いはしないけど、それとなくお店に見に行って「ああ、これだったのか」って確認したかったなと…笑
鳥のように。なれたらいいねと何度思ったことか。
いつの時代も人は鳥に憧れるのかな。昔の人はその憧れをヒントにして飛行機を発明したし。
思い立った時すぐ鳥に変身できて飛び立てたらいいのに。こんなことが人間にできるようになったら世の中大混乱だけどね。多くの人が仕事やらなんやら投げ出して帰ってこなくなる。社会が回らなくなる。まー大変。
新幹線とか誰も乗らなくなっちゃうね。移動手段にお金つかう必要なくなるし。というか運転士も仕事投げ出して飛んでくか笑
もうね、あるよ。何もかも投げ出してどっか行きたいって思うこと。しょっちゅうある。アテもなく電車乗って適当に降りてまた乗って、知らない街をどこまでも歩いて。自分がこういうことしたらどこに行き着くかなーと思ったりもする。
だいぶ前にヨーロッパに行った時、ツアーバスで片田舎を走ったことがある。家が点在してるぐらいでなんにもない、町人(村人?)もいないのどか~な所だった。少し寂しげにも見えた。
そんな風景を車窓から眺めながら、もし自分がここに雲隠れしたらきっと見つからないんだろうなと思ってた。日本から遥か遠く離れたこんなへんぴな場所なら、たぶん見つからない。楽しい旅行ではあったけど、ふとそんな寂しい気持ちになることがあった。
昔から心のどこかで常に思ってたのかも。逃避行してしまいたいって。現実を楽しんでる自分とは別の自分がいたのかも。今もいるのかも。
もう消えたいなって思うこともあるけど、消えるぐらいならそれこそ鳥になってもっといろんなものを見たいよなと思う。海外にも国内にも行きたい場所はまだある。会いたい人もいる。
こう考えると消えるのは惜しいか。消えたくはないかやっぱり。
でも鳥も同じ場所を飛んでるだけじゃないか?
渡り鳥はたぶん毎年同じコースを飛び、そうじゃない鳥も生息地の同じエリアにしかいないんじゃない?知らんけど。だから自由に飛び回ってるように見えて実際は違うのかも。そのエリア内なら自由だけどって話なんじゃないかな。
翼を持つ鳥はいつでも飛び立てる。好きに空を飛んでるように見える。だから鳥=自由だと勝手に人間が認識してるだけだとしたら。
要は人間としての自分の頭脳と経験値はそのままで翼だけ欲しいってことだね。鳥のしがらみとかは関係なくて、ただ鳥の自由そうな部分だけが欲しいと。都合良いねー人間。
なんも考えてなさそうな鳥だって実はめちゃめちゃ考えながら飛んでるかもしれないぞ?
結局人間がいいよなと思うんだよね、きっと。
「休みの日は何してるの?」
日常会話で聞く質問の中で一番嫌いかもしれない。
「聞いてどうするの?」「いやどうもしないけど、どうしてるのかなーと思って」
今まで何度となく繰り返されたこのやり取り。ああ不毛。
たまにどこどこに行ったと答えると、誰と行ったの何しに行ったのとまた質問が飛んでくる。
詮索されるのが嫌いな私にとっては煩わしくてしょうがない。
目的も意図もなく他人の休日の行動について根掘り葉掘り聞こうとする神経が私にはわからない。
こういうのを雑談というんだろうけど、苦手なんだこれが。昔から。
そう。学生時代から。
中学でも高校でも、常につるみたがる女子の習性が理解できなかった。トイレ行こう、誰々のとこ行こう、食堂ついて来て。
意味がわからなかった。一人で行った方が絶対早いのに。内心そう思いながらも一緒に行っていた。
断り方を考えるのも面倒、断って嫌われたらさらに面倒なことになる。それがわかってたから。
みんなは休み時間が待ち遠しいみたいだったけど、私は授業中の方が気楽だった。友達と仲良くしてる風を装わなくていいから。
大人になってもこの性格は変わらないどころか、むしろ拍車がかかった。
仕事が終わった後のイベントごとには不参加表明、休憩時間は一人でお弁当を食べ、休日は一人で好きに行動、旅行も一人、惰性で付き合っていただけだった友達とは縁切り、用もないのに知り合いに電話したりしない、休日に職場の人と会うなんてもってのほか。
遠方に住む両親に連絡することもほとんどない。話す必要がないし話すネタもないから。不仲ではないけど別に会いたいとも思わない。
放し飼いが自分には合っている。一応会社という組織には属していて最低限の規則は守るけど、基本ほっといてほしい。構わないで。詮索しないで。
誰かといることで楽しさや喜びが増えるのはわかる。しかしその分煩わしさも増える。一人ならその楽しさはないが煩わしさもない。代わりに自由が手に入る。
私は迷わず後者を選んだ。寂しさや孤独感はその代償。それでも一人という解放感が勝った。
極端なほどに合理的な性格。ドライにも程があるとさすがに思う。冷徹すぎるとも思う。
それでも誰かといる必要性を感じない。群れるより単独行動の方が早いし気が楽。これが私が一人でいる理由。
もはや社会不適合じゃないだろうか。少なくとも女子不適合ではあると思う。
人のことを信用できないというのが根底にある。
他人の本心がなんとなくわかるから。黒い部分に気づいてしまうから。見破ろうなんて思っていないけど、なぜか勘づいてしまう。
常に斜に構えているこの性格。人間不信とかトラウマを抱えているわけではないが、人に対しての猜疑心が消えることはない。
誰かの短所に気づいた時には、もうその人のことは嫌いになってしまう。それもあんまり好きじゃないとかじゃなく、完全に嫌いになる。
これほど人を寄せ付けようとしない人間も珍しいんじゃないかな。
人と向き合うよりも文章と向き合っていたい。このアプリに救われることがこれから増えそうだ。