私も歳をとったのか、中学生や高校生を見ているとそれだけで泣けてくる。
これから先、彼らはどんな理不尽を目の当たりにして、自分の無力さに打ちひしがれて、時には生きることが嫌になったり、人生を降りてしまいたくなったりしながらどうにかこうにか世の中を生きていくんだろうか。
今はまだ知らなくて、知らないからこその彼らの美しさ貴さに感情が揺さぶられるのだ。
知らない君は、短くて美しい。
当時の私は、「ほら、早く行ってきな」と言われれば言われるほどに萎縮した。
ただ、そこのカウンターに愛想良く立っているお姉さんへ、小銭を差し出して「ソフトクリームください」と言うだけなのに。
足も手もぎこちなく、声は掠れて上手く出せない。
もはやソフトクリームが食べたいのか食べたくないのかもよく分からなくなっていたが、「食べずに帰る」ことが許されないことは分かっていた。
おそらく何とか注文はできたのだろうが、ソフトクリームの味は全く覚えていない。少し離れてにこにこ笑う祖母の、圧だけはずっと記憶に残っている。
かぼちゃの煮物を、よく作っていた。ネットで見た黄金比の味付けで。上手くいく時もあれば、煮すぎて味が濃くなることもあった。
かぼちゃもかぼちゃで、よいときとそうでない時がある。
うちの包丁は安物なので、かぼちゃもすぐには切れない。力を入れる時に、包丁の背が手のひらにくい込んで痛い。
ふきんを背にあてがって何とか切るが、おかげでふきんはかぼちゃ色に染る。
かぼちゃにふきんがつかないように…気にする人は気にするんだと思う。そのあたりの衛生観念が甘い私は、仕事の時だけでもしっかり切り替えねばと思う。
深夜、こっそり部屋を抜け出して
暗い
重たい道
ヒールの音がひびく
きっと近所にも聞こえているんだろうな
私が寝ている時にも、聞こえていたから
歩きながらタクシーを呼ぶ
絶対に行かなければって急かされる
衝動的なもの
いつでも起きていたんだろうか
呼び出されたんだろうか
いつのことだったか
1月2日は確か、夜まで戻らなかった?
ちがう、1月2日は夜どころじゃなく、暫く戻らなかった。アルバイトにも。確か。
3月12日だったか、もっと後か、車で待った。ガソリンを入れるためか、確か。そのあとはどうなった?夜には戻って、そして、泣いた気がする。ほかのひとをもとめていて、それで
わたしのことすきなの?
いや、すきってほどじゃないかな
それなら別れよう
振り回してごめんな
そんな記憶
何か忘れていることがあるような