『暗がりの中で』
蛇口のレバーを回すと“しゃー”という音とともに水が流れ出てきた。すかさず、右手で持ったやかんで水流を受け止める。
次第に重くなる腕。ちょうど良い重さになったところで水を止め、やかんを火にかける。
火にあてられたことで表面の水気が乾き、徐々に熱くなるやかんをそのまま、ほかの準備を進める。
ガラス製の透明なティーポットに白い陶器のティーカップ、それと紅茶の茶葉。ティーカップをソーサーに受けると、やかんの水が沸騰するのを待つ。
しばらくすると、やかんの中から“ぼこぼこ”と水が蒸発する音が聞こえてきた。
火を止めるとやかんを手に持ち、ティーポットにできたての熱湯を注いでいく。そして蓋を閉めると、行き場のなくなった蒸気がティーポット内で溢れかえり、透明なティーポットの内側が見えなくなってしまった。
数分後。温まったティーポットからお湯を捨て、そこにスプーンで茶葉を一杯、二杯と入れていく。
そうして準備が整ったティーポットに、まだ十分熱いお湯を一気に注ぐ。すると、ティーポットの底に縮こまっていた茶葉たちが“ぶわっ”と広がり、水中で動き回る。
蒸らすためにティーポットの蓋を閉める。茶葉が動きを止めてゆっくりと落ちてきた。
そのまま数分、自分の感覚を頼りに蒸し続ける。
広がりながら、動きながら。ただのお湯に色をつけ、味をつけ、香りをつける茶葉。
ティーポットの蓋を開ける。閉じ込められていた香りが一気に広がった。
『紅茶の香り』
後日
『愛言葉』
友達のことを思うと気づく
友達とは時間や空間のことだと
今の友達、昔の友達
自分の友達を挙げていくたび
自然とその時の情景が溢れ出る
楽しい思い出、辛い思い出
一緒にいたのか、通話していたのか
明瞭な思い出、曖昧な思い出
だがそこには確かに友達が存在している
さて、未来にはどんな友達が待っているのだろうか
『友達』
デスクで仕事をこなしていると、午前の終わりを知らせる放送が流れ始めた。
(うーん、いまいちな進捗だな。午後は気合を入れないとな)
Todoリストを確認しデスクを軽く片付けると、周りの流れに乗るように社員食堂へと向かった。
食堂で日替わりランチを受け取るとそのまま足を進め、すでに定位置となっている席に着いた。
「おう、なんの話してんの」
そこではすでに二人の先客が昼食をとっていた。
入社して六年ほど、配属先の部署はバラバラになったがやはり同期の社員は気安く話しやすい。
いつの間にか同期で集まって昼食をとるようになっていたが、これも長く続いていた。
「今こいつの彼女の愚痴を聞いてたんだよ」
「そういう話ね、なんか面白いの聞けた?」
「おいおい、お前までそっち側に回るのは勘弁してくれよ」
「まあまあ、とりあえず先にメシ食うわ」
愚痴を話し出したが最後、根掘り葉掘りいろいろと聞き出されてしまったのだろう。“これ以上は敵わん”と立ち回る同期を制すると、俺は続く会話を横目にまだ温かい日替わりランチを食べ始めた。
「そういや、結婚してるお前もそういう話の一つや二つくらいあるんじゃないの?」
「いや、特にはないかな」
唐揚げを食べていると、話の矛先が急に俺へと向けられた。
だが、残念なことに俺はそんな愚痴ばなしのストックを一つも持っていない。
彼女は会社でも順調にキャリアを積んでいるし、性格も明るく、家事もそつなくこなす。料理に至ってはおいしい上にバリエーションも豊富ときた。俺の作るなんちゃって料理とは比べるまでもない。
唯一勝てるところがあるとしたら風呂掃除の速さ、あとは力作業くらいなものだ。
そんな彼女に不満などあろうはずもない。
「かー、順風満帆てな感じでいいねぇ」
愚痴を期待していただろう彼らには申し訳ないが、ここぞとばかりに惚気させてもらう。
「俺にはもったいないくらいのいい家内で」
『行かないで』