タイミングって大切だよね
それは様々な状況で言われてるけど
初めてのタイミング
勉強のタイミング
散歩のタイミング
仕事のタイミング
文章を書くタイミング
話し合いのタイミング
色々あるけど
それは
自分の気持ちのタイミングだったり
天気のタイミングだったり
場の雰囲気のタイミングだったり
合わなければうまくいかないことがあるよね
タイミングが合わなくて失敗して
悔しくて悲しく思うことがあるよね
けどそれは絶対に無駄なことではないよ
逆にチャンスだよ
だってそのタイミングでやると失敗するって知れたんだから
次のタイミングまで待てばいい
やらなきゃいけないじゃないんだ
焦らなくていい
見極めて初めて成功するんだ
違うと思ったら休んでいいんだよ
それが休むタイミングだから
自分を労ってあげてお疲れ様って
もしも過去へと行けるなら
何度何百回も繰り返してきた問いだ
あの日に戻りたいと何度おもったか
幼い頃に戻って遊びたいと思う時もある
今を拒絶して
明日を拒絶して
過ぎてしまった過去をやり直したいと嘆く
何回も何回も
仮にそれができたとして
果たしてそれはほんとうに自分なのだろうか
だって過去を変えたら今の自分はどこに行く?
消える?夢だったと嘆く?
わからない
ただ一つ言えるのは
過去を変えられなくても
過去を変えられたとしても
明日は必ず来るのだから
進まなければならない
逆に進まないことを選んでも
選択しなければならない
逆に選択しなくても
選んだのは自分だから
自分が生きている限り
それは変わらないことだから
もしも過去へ行けるのなら
精一杯生きてと伝えたい
それだけでいい
またいつか
そういう言葉をいつも使ってしまう。
これをやりたい
あれをしたい
願望、欲望は持つのに
時間がないから
お金がないから
自信がないからと
ない理由を見つけては諦める
けれどそれで後になってやっぱやればよかったって思うんだ
だったらまたいつかじゃなくて
今からやろうって思うんだ
例えそれで
時間を取られてしまっても
お金がなくなってしまっても
自信が傷つけられてしまっても
やったことが経験になって必ず自分の助けになる
自分だけの財産になるんだ。
だからまたいつかを言う前に一歩進んでみて
いつからだろう。現状が満足いかないはずなのにそれを維持しようとする自分がいる。
お金がない、時間がない。友人がいない。理由は様々だけれど自分が動かないのに周りにケチをつけることで自分を正当化しようとあがく。
そんなことしても何も変わらないのに
そうしなければ動いていない自分を保てないから
今の現状に甘んじて諦めて生きているからと無理やり納得して
最後に夢に向かって飛び出したのはいつだったのだろう
それすら思い出せない
けれどその気持ちを思い出そうとするだけできっかけはできた
あとは自分次第
あれからどれくらい経ったか。
その日々を数えるのは難しいと思うほど忙しくて。
遠い昔、楽しかった毎日が色褪せるほどここまできてしまった。
どこまでも続く澄み渡った青空を初めて見た日。
揺れる木陰が冷たい風と共に揺れるのが涼しくて。
静寂で穏やかな日々がいつまでも続くと思っていた。
けれど大人になると青空は見なくなった。代わりに地面や周りの情報に振り回されて混乱する日々。
気を使い円滑に回さないとピリピリする環境で。
心休んだ日はいつだったのだろう。
贅沢は言わないから一瞬でもいい。
またあの青空を見上げたい。