【友情】
私には、
定期的に連絡を取り合う友達が1人もいない。
「友情」を感じる相手がいない。
学生時代の友達、職場の同僚…
それぞれで仲良くしていた人はいる。
というか、
私は低姿勢で人当たりが良いタイプなので、
特に社会人になってからは、
人間関係で困った事は一度もないぐらいだ。
けれど、学校や職場が変わると、
その付き合いは終わる。
その後も連絡を取り合う事はごく稀で、
プライベートで付き合う人が1人もいない。
ついこの間も、
以前の職場で仲が良かった3人組で
夕飯を食べに行こうと誘われたけれど、
職場が変われば会う事も無いのに、
プライベートな時間を使ってまで
話をする必要が無いと思って、
断ってしまった。
私はいつもそうだ。
つい「必要」か「必要無い」か…
そこで判断してしまう。
なのでいっつも「知人」や「同僚」止まり。
プライベートな時間を共有する「友達」には
ならない。作ろうとも思わない。
たまに寂しく感じる事もある。
何でも話せる友達が1人でもいたら、
人生もっと楽しいんじゃないか?って。
こんな匿名性の高いSNSばかり選んで
投稿しているようじゃ、
そんな友達は出来ないって事も分かっているけど…
母親とすら良好な関係を築けない自分にとって、
赤の他人との友情は、
本当にハードルが高い。
【今一番欲しいもの】
そりゃ間違いなくお金だな。
とにかく収入と支出のバランスを
何とかしないとヤバい。
【私だけ】
私だけは人とは違う。
そんな自分には特別な魅力があると考えて、
周りとはちょっとズレてる自分を
演出したりする。
けれど大抵の場合、
特別感なんて全く感じない程度の人ばかり。
同じように考えて行動してる人が
あちこちに大量発生してるからね。
完全に自分のオリジナルって事は無い。
みんな何かしらに影響を受けて、
無意識のうちに真似して生きてる。
特に、聞かれてもいないのに、
勝手に自分語りを始めるタイプは
かなり重症だと思う。
どんな有名なクリエイターだって、
他の色々な作品を見て、
様々な分野からたくさんの物をインプットして、
そこから発展させて作品を生み出している。
過去の経験や記憶に頼らず、
完全にゼロから生み出すなんて、
無理な話。
絶対に何をするにしても、
何をひらめくとしても、
過去に見た何かから影響を受けている。
そこから発展させて何を生み出すかが重要。
「私だけ」というのは嘘であり無価値。
私はそう思っているから、
得意げに自分語りを始めた人からは
そっと距離を置く事にしている。
関わったとしても、何の特にもならないだろうから。
【私のトラウマ】
あれは私がまだ7〜8歳の頃、
ギリギリ記憶に残ってるぐらい昔の話。
私の父はサービス業で、土日祝は絶対に仕事。
だからあれは、
夏休みなどの長期休暇中の平日の夜の思い出。
年に数回あるか無いかの、家族4人での外食。
チェーン店のステーキ屋さんで夕飯を食べて、
店を出た。
車に乗り込むまでの距離を歩く間に、
私は近くのパチンコ屋のネオンに見入ってしまった。
不規則なリズムで点滅し、
流れるように動く、カラフルな光。
文字が浮かび、消え、
また形を変えて、陽気に動き回る。
私はその点滅のスピードに追い付こうと、
夢中で踊り始めた。
ジャンプし、両手を広げ、体を揺らした。
そして私がハッと気付いた時、
家族の乗った車は、
私を乗せないまま急発進した。
大慌てで車を追いかけて走った。
今思えば、ほんの数メートルの事だっただろう。
急発進だと感じたのも、きっとただの徐行で。
それでも当時の私にとっては、
何十年たっても思い出す度に心がザワザワする、
立派なトラウマになっている。
後部座席のドアを急いで開けて乗り込むと、
ミラー越しに父の険しい顔。
母も無言で睨んでくる。
母はいつもそうだ。
父や祖父母の前では、絶対に怒らない。
黙って睨み付けてくる。
そして夜、祖父母や弟が眠りについて、
父が遅くに帰宅するまでのわずかな時間に、
わざわざ私を起こして、往復ビンタの説教が始まる。
これは、そんな思い出の中のひとつだけど、
捨てられるという恐怖を強く感じた、
特に思い出したくない、
けれどはっきりと覚えている出来事だ。
もう死んでもいいんじゃないかな。
….それだけだよ。