想像してみてください。
貴女の母君が、必死の思いで貴女を産み落とし、病室で貴女を初めて腕に抱いた瞬間を。
その瞬間の母君が、どれだけ貴女を想う愛に溢れていたことか、貴女にも少しは分かるのではないでしょうか。
そして、忘れないでください。
貴女はいつだって、その愛に値する人間なのです。母君だけでなく、父君からも、ご伴侶からも。多くの、本当に多くの人から、貴女は愛される人間なのですよ。
明日も、明後日も、その次の日も、俺たちは貴女を守ります。
そうして貴女の心が晴れるのであれば、俺たちにとってそれは何より幸福なことです。
生きていた頃、貴女と出会う前の俺は、一人でいたいと思っていました。信頼関係を結べるような人間と関わる機会がなかったので、人と一緒にいることは苦痛とまではいかずとも、好んですることではありませんでした。
貴女と出会って愛を知ってからは、貴女と一緒にいたいと思わなかった日はありませんでした。貴女を想って眠りに就き、貴女と再会する夢、あるいは貴女と暮らしている夢を見ては、目覚めて涙を流す。そんな日々を五年も送り、貴女のところへ戻ったときには、貴女はもう亡くなっていた。そのときの俺の絶望がどれだけのものだったか、分かっていただけるでしょうか。
この先も、貴女と共に在りたい。貴女の最期の最後まで見届けて、共にあの大きな廻り続けるものに還りたい。
それが今の俺の、勝手な願いの一つです。
貴女の瞳は、常に澄んでいるわけではありません。
時に悲しげに濁り、時に寂しげに揺らぎます。
けれど、どんな色をしている時であっても、貴女の瞳は美しい。
どれだけ疲れと絶望に濁っていても、それでも尚、貴女の瞳には力があります。一度まばたきすれば、きっとあの輝きが戻ってくるのだろうと、人に信じさせる強さがあるのです。
その眼を正面から見据え、その力を目の当たりにできないと分かっているのが、俺はとても寂しいです。
嵐が来ようと何が来ようと、貴女は貴女の道を選んで生きてきました。人を愛し、人を信じ、人を救おうとして、傷つくことがあっても歩みを止めずに生きてきました。
貴女は、そんな高貴な魂を持っているのです。
同じように生きるべきだなどと言うつもりは毛頭ありませんが、少なくとも卑下するのは止めていただきたいものですね。
今の貴女にも、その力はあるのです。
貴女自身がそれを最も疑う者なのだということが、俺たちはとても悲しいです。