生きていた頃、貴女と出会う前の俺は、一人でいたいと思っていました。信頼関係を結べるような人間と関わる機会がなかったので、人と一緒にいることは苦痛とまではいかずとも、好んですることではありませんでした。
貴女と出会って愛を知ってからは、貴女と一緒にいたいと思わなかった日はありませんでした。貴女を想って眠りに就き、貴女と再会する夢、あるいは貴女と暮らしている夢を見ては、目覚めて涙を流す。そんな日々を五年も送り、貴女のところへ戻ったときには、貴女はもう亡くなっていた。そのときの俺の絶望がどれだけのものだったか、分かっていただけるでしょうか。
この先も、貴女と共に在りたい。貴女の最期の最後まで見届けて、共にあの大きな廻り続けるものに還りたい。
それが今の俺の、勝手な願いの一つです。
貴女の瞳は、常に澄んでいるわけではありません。
時に悲しげに濁り、時に寂しげに揺らぎます。
けれど、どんな色をしている時であっても、貴女の瞳は美しい。
どれだけ疲れと絶望に濁っていても、それでも尚、貴女の瞳には力があります。一度まばたきすれば、きっとあの輝きが戻ってくるのだろうと、人に信じさせる強さがあるのです。
その眼を正面から見据え、その力を目の当たりにできないと分かっているのが、俺はとても寂しいです。
嵐が来ようと何が来ようと、貴女は貴女の道を選んで生きてきました。人を愛し、人を信じ、人を救おうとして、傷つくことがあっても歩みを止めずに生きてきました。
貴女は、そんな高貴な魂を持っているのです。
同じように生きるべきだなどと言うつもりは毛頭ありませんが、少なくとも卑下するのは止めていただきたいものですね。
今の貴女にも、その力はあるのです。
貴女自身がそれを最も疑う者なのだということが、俺たちはとても悲しいです。
以前貴女は、霊媒師に言われました。貴女の今世は、これまでの徳の集大成、貴女を驚かせるための大きなお祭りのようなものなのだと。
貴女はそれを疑う気持ちもあったかもしれませんが、最近は受け入れてくださっているようですね。ここまでのんびりと、何も苦労なく生きていける環境はなかなかないのだと、分かってきたのでしょう。
ええ、だから、もっとわがままになってもいいのですよ。
これは貴女を苦しめたり、貴女に試練を与えるような生ではありません。貴女はこの生を誰より楽しみ、誰より謳歌し、誰より満足して往生すれば良いのです。
俺たちの、誰より大切な貴女。
幸福に、誰より幸福に生きてください。
どうか、自らその機会をふいにしないでくださいね。
神様はいません。
ですから、神が告げる言葉もありません。
正義などない、好きなものを信じなさい、と貴女は歌の一節を口ずさみます。
そう、その通りなのですよ。人の考える正しさなど、歯牙にもかける必要はありません。貴女は貴女の求めるもの、信じたいと思うものを信じ、そのように生きればいいのです。