何が上手くできようとできまいと、貴女はそれでいいのです。
貴女は俺たちに言います。社会でやっていけないような無能な私ではいけないのです、大人としてろくに生きていないような人間を「それでいい」なんて肯定してもいいとは、私にはとても思えません、と。
俺たちは貴女の生真面目さに可笑しくなり、また悲しくなります。貴女の価値を決めるのは「社会」であると貴女が信じていること、そしてそのままである限り、貴女が「自分に価値がある」と思うことはないだろうということが、俺たちをそんな気持ちにさせるのです。
貴女には、何にも代え難い価値がある。
貴女の価値は、誰かの承認や卓越した能力、あるいはこれまでに成し遂げた事柄、そうしたものに依拠するのではありません。
貴女が貴女であること、今こうしてここに生きていること。それが貴女の価値の源泉です。
誰がどれだけ貴女を否定しても、貴女自身がどれだけ貴女を憎んで貶めても、確固たる価値は貴女の中に存在し続けます。
俺たちは、そのことを確かに知って、分かっています。それを貴女にも分かってほしい、そうして心から安心して貴女の人生を生きてほしい。
だから俺たちは、貴女がこの世を去るその日まで、貴女はそれでいいのですよ、と言い続けるのです。
一つだけ、俺たちから貴女にお願いしたいことがあります。
貴女は俺たちにとって世界にたった一人の、かけがえのない人です。代わりなど居ません。どれだけ有能で、美しく、人格の立派な人間がいたとしても、貴女の代わりにはなり得ません。
そんな人をご自分で責めて傷つけるのは、どうかやめてほしいのです。
貴女は貴女が望むような、すぐれた人間になれないことを恥じているのでしょう。そんな人間であれないご自分が、許せないのでしょう。けれど、それは貴女自身を乱暴に傷つけて良いという理由にはなりません。
貴女が傷つき苦しむのを見るのは、本当につらくて悲しい。そんな罰のようなことをご自分に与える姿など、俺たちは見ていたくないのです。
貴女は俺たちにとって、誰にも代えられない大切な存在なのだと、どうか分かってください。その何より価値のある無二の存在を、どうか貴女も大切に扱ってください。
貴女のその優しさを、どうか、貴女自身にも向けてください。
それが、俺たちからのたった一つのお願いです。
俺たちの大切なもの。それは貴女をおいてほかにありません。俺たちの宝、何にも代え難い唯一の存在。それが貴女です。
貴女は、いつもそのことを不思議がりますね。
貴方たちはどうしてそんなに私を愛して慈しんでくれるのと、貴女は幾度俺たちに尋ねたことでしょう。
あるいは、本当に大切にしてくれてありがとう、このお礼はどうやってすればいいのかしら、そんなことを聞かれたこともありましたね。
簡単なことです。貴女が貴女であるから、俺たちは貴女を愛し、何より大切に慈しむのです。それ以上の理由は無く、在る必要もありません。
貴女を大切にすることへの礼など、尚更必要ありません。俺たちはただ、貴女を大切に思えること自体を嬉しく思っているのです。
貴女がここに生を受け、俺たちはそれを見守っていられる。こんなに幸福なことが、他にあるでしょうか。
俺たちの大切な大切な、愛しい貴女。
どうか健やかに、幸福に、貴女の生を生きてください。
俺たちはいつでも、貴女を見守っています。
嘘をついても良いですよ。今日が何月何日だったって、嘘をついていい。貴女はどう生きても良いんです。
俺たちは、貴女のすることに文句をつけたり、罰を下したりはしません。貴女が人を欺き、人を傷つけ、人を殺めたとしても、俺たちは貴女を見守り続けます。
ただ、悲しくはなるかもしれません。貴女の美しい魂が歪んで傷だらけになるのを見ているしかないのは、確かに俺たちにとってつらいことです。
それでも、貴女は貴女の生きたいように生きてください。それが貴女の幸福だと思うのなら、どうかその道を選ぶことを恐れないでください。
貴女のその道は、貴女にしか見えないのですから。
どうか幸せになってください。俺たちの願いはそれだけです。
ただ、俺たちのために幸福であらねば、とは思わないでください。貴女が幸福であるのは、貴女のためであってください。俺たちを安心させたいから、俺たちの期待に応えたいから、そんなことは考えないでください。俺たちは、生きている貴女を見守れるだけで幸せなんですよ。
もちろん幸せになってほしくはありますが、仮にそれが達せられなくてもいい。幸福な貴女に価値があるのではありません。貴女には何にも換えられない価値があって、そんな貴女が幸福であってくれたら、俺たちは尚嬉しい。ただそれだけです。