「10年後の私から届いた手紙」
さて、10年後の私は何をしているでしょうか。
答えは内緒にしておきましょう。だって、未来を知ったら私、絶対に努力することをやめますから。
今も昔も変わらず、お気楽極楽ワンダホイな生活を送っていると思っていてください。
未来に期待はしない方がいいですよ。
信じるのは今しかないのだから。
「バレンタイン」
バレンタインはいい風習。
少なくとも私にとってはそう。
だって、バレンタイン当日になれば推しからの供給が来る。公式からの供給が来る。
加えて、二次創作も活発になって、推しCPの二次創作やファンアートも出回る。
バレンタインがなければ見られなかった光景だ。
決して、誰からもチョコを貰わなくて悲しいとかそういうのではない。
「待ってて」
雨が止むまでここで待ってて。雨が止んだら帰ってくるから。
彼女がそう言ったから僕は待っている。
しかし、待てど暮らせど雨が止む気配はない。
この四阿の中で待っていますよ。
そう大きな声で空に向かって言ったが、返答は雨音のみ。仕舞いには雷を伴っている。
彼女は戻ってくるのだろうか。
僕のことなんて忘れて――
「伝えたい」
絵本が好きだった。
もちろん小説も好きだが、絵を眺めるのが好きであった自分としては、物語と絵を同時に楽しめる絵本の方が好きだった。
だから、気がつけたのかも知れない。
轟く雷鳴。
黒く覆われた厚い雲。
長く降り続ける雨。
ここは、現じゃない。
ペラ……ペラ……と、紙を捲る音が何処かから聞こえる。
すると先ほどまでの雨模様が一転、虹がかかった空が顔を覗かせる。
勇者が「魔王を倒したぞ!」と声高らかに宣言する。何度聞いたか。
だが、その度に街の人は歓声を上げる。
この本は何を伝えたいの?
正義は勝つってこと?
自分は主人公じゃないからわからない。
所詮は端役。この世界に住む名前のない住人だから。
「目が覚めるまでに」
幼少期の記憶というものは酷く曖昧で、それが実際に起こった出来事なのか、それとも夢で視たものか、或いはそんなものは自分の中で作った幻想にすぎないのかもしれない。
個体差はあるのかもしれない。いや、そう簡単にできてしまっては困ることであるが、私は自慢ではないが、自分自身の記憶の改竄を簡単にできる。
改竄というと語弊があるが、例えばここに、事実Aがあったとして、その内容が気に入らなかったとする。そこで「こうであったらいいのに」と思う。
そりゃあそうだろう。気に入らない内容なのだから。
その思いを強くするうちに、事実Aは虚偽Bに侵食され、亡き者になる。
こうやって上書きした記憶は多分、多くあるのだと思う。
だが、「上書きした」という記憶があるだけで、それがどの記憶なのか、どういう幻想にすり替わったのか、記憶がないのだ。
果たして、それは記憶を上書きしたと言えるのだろうか。
コンピュータに置いて、メモリーを上書きしたところで、そのログは残るわけで、復元も容易だ(容易ではないものももちろんあるが)。
しかし、私の体にログが残っているわけでもなく、上書きしたという記憶だけある。復元もできやしない。
こうやって改竄した記憶だらけの私が、制御能力を失い、改竄したものが元通りになったら、自分をどこまで信じられるのだろうか。
目が覚めるまでに、私はどこまで記憶を上書きするのだろうか。