「誰かのためになるならば」
私は自分勝手な人間だ。
自分のため =他人のためになるように行動していた。矛盾だがその方が、人生はイージーモードだと思っていた。
誰かのために、と思っていた時期もあったけど、人間関係の摩擦で、それはあっという間に消えてしまった。
誰かのためになるならば、そう思っていた。
そんな時期を考える自分は、いなくなってしまった。
ちょっとそれは寂しい。
「友情」
君は君だよ。
一度だけ、友にそう言ったことがあった。
君は心からの友だ、心の友だ、そう言われた。
君の言葉に私はちゃんと、答えられただろうか。それを聞く間もなく、君はすぐに返事がもらえない、遠い所へ行ってしまった。
それはいつか再会して、向かい合った時に聞くことにしよう。その間に心の友と言ってくれた君に対して、 正面を向いて話せるように向き合えるように成長したい。
「もしもタイムマシンがあったなら」
もしもタイムマシンがあったなら、あの時に戻りたい。
もしもタイムマシンがあったなら、友よ、君に一言ちゃんと言いたい。
もしもタイムマシンがあったなら、 私は今の私でいただろうか。
タイムマシンがあってもなくても、私は私のままで今を生きるのだ。
それが今できる、私と友の遠い約束。
「もしもタイムマシンがあったなら」
もしもタイムマシンがあったなら、過去に別れた人たちに、たくさんたくさん話をしよう。
変なやつと思われてもいい。
とにかく、たくさんたくさん話をしよう。
そして、去り際に笑顔を向けよう。
悪い思い出をいい思い出に。
悲しい別れを笑顔の別れするために。
「今一番欲しいもの」
欲しいものはあった。
小さい頃から色々あった。
それはキラキラしたもので、私の心の中の一番綺麗なところにいた。
年を取るとキラキラが減った。
年をとると、減るのかなと思った。
でもそれは関係ない、キラキラに年は関係ないのだ。
今一番欲しいもの。欲しいものは色々ある。
物・想い・人、全部揃えて笑って過ごして、平凡だけど、そんな時間を奇跡を幸福というのだ。
贅沢だけど、私のささやかな一番欲しいもの。
しかし私の今欲しいものは、もう一部が消えた。
二度と二度と帰らない。ただただ笑い合ってた日々。でも忘れて消えてしまったら、それすら失ってしまう。ないものねだり、分かっている。
だから私は、まだ残っている一番欲しいものの欠片を失ってはいけない。
大切にして、忘れてはいけない。
「私の名前」
以前名前について、母に聞いたことがある。
どんな風につけられたのか。
答えは意外と単純だった。
名前は親から与えられる最初のギフトだと。
それを聞いた時、私の名前にも何か意味があるのかなと思ったけど、母から聞いてがっかりした記憶がある。
子供もペットもいないけど、大事なものに名前をつける時は、ちょっと辞書を引いてから、名付けサイトで見て、名前を考えてつけようと、意味もなく思った私だった。
「名前について思った事」
昨今、俗にいうキラキラネームや、読み方だけの当て字で作った名前を見ると、平凡でもちゃんと考えてくれた名前は、時代を超えて親の愛を感じてならない。
かといって、キラキラネームは悪いわけではない。
そこに親の愛があるかないかで、子供がどう受け止めるかが問題だ。
名前が変えられる、自由がある現在は、とても運がいいと思う。