君の背中
受け止めてくれる君の背中の温かさに
少なからず嫌われてはいない事を知っている。
だから私は今日もこの気持ちを飲み込んで
そのやさしさにつけ込むんだ。
遠く…
遠くまで音を飛ばしなさい。
遠くで響くような音をイメージしなさい。
物質的にではなく、精神的に。
遠くまで飛ばす技術も大事だがそこに"心"が入ってこそなのだと。
誰も知らない物語
心の奥底に閉まっている、
私だけが見れる私だけの物語。
ふと意識が浮上する。
いつもよりも随分と早い時間に目が覚めた。
朝ごはんを食べ、身支度をし、仕事へ向かう準備をする。カーテンを開けると周囲はまだ薄暗く、夜とはまた違った不気味さを残している。
誰もいない部屋へ向かって挨拶をし外へ出る。
静かな道をゆっくりと歩く。
自分の足音、息遣いしか聞こえない。
この世界に自分1人だけしかいないような感覚に陥る。
暫く歩くといつも通る広場に着いた。
今日はふと少し丘になっている高台へ足を向けてみた。
本当になんとなくだ。
高台への道を歩いているとだんだんと空が白んできている事に気づいた。
静かに街が陽の光に照らされて行く。
今日はなんだか良い日になるかもしれない。
永遠の花束
永遠(とわ、えいえん)とは、物事の変化を認識するための概念である時間に対し、変化しないものの概念であり、常に移ろい過ぎ去っていく時間に対し、不変のものを言う。また、時間が有限であるのに対し、永遠であるということは無限、無期限であるということでもある。
有形、無形を問わずそれが何時の時点から存在するかを推し量れない過去から有る、元元・本来ある、またはある時点から存在している、いずれであってもそれらが過去から現在に、さらに際限のない未来へと不変の状態や形式で無限に存在し続けること。
芸術や哲学、宗教にとって、重要なテーマである。
Wikipedia引用
永遠とは生きているものにとって一生答えの出ない問いかけだろう。
先日、亡くなった祖母の部屋を掃除していた時の事だ。部屋の引き出し一杯に沢山のアルバムと写真を見つけた。そこには昔の白黒写真や父や叔母の幼い頃の写真が沢山入っていた。
いつだったか見せてもらったおばあちゃんの子供の頃の写真もあり、ついつい片付けの手を止めて見入ってしまった。私から見て大叔父に当たる人がセーラー服を着て軍帽を被っている写真や昔の地元の写真。話した事もないおじいちゃんの写真。従兄妹や兄弟の幼い頃の沢山の写真。
笑顔、仏頂面、泣き顔、怒ってる顔、真剣なそれでいて目の奥に憂いを帯びた覚悟を決めた顔、家族団欒の風景。どれもその時代のそのときのかけがえのない時間の1つだ。
写真には語り部のようなものだと思った。過去の事を新しい世代へと語り継いでいく。
写真は色褪せる。歴史の年月がそこにあると言うことなのだろう。
この先も写真は増えていくだろう。
今を生きる私たちが残して行くもの。これからの世代が残していくもの。
それらを並べた時
きっと花束のように綺麗なのかも知れない。