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2/3/2023, 2:16:24 PM

 「ねえ、今何する時間?」
6時間目、雑踏とした教室の中、隣の席の西原は当然のように私に聞いてきた。ああ、やっぱりなとこっそりため息をつく。先程ちらりと隣を見たとき、彼は窓の外の青空をぼーっと眺めていた。先生の話など頭に入っていないことは一目瞭然だった。はじめから私に聞いてくる算段だったのだろう。
「聞いてなかったの?」
「うん」
「タイムカプセルを作るんだよ。手紙とか、絵とかを封筒?に入れて保護者に保管してもらうの。それで10年経ったら開けるんだって」
「へえー」
聞いているのかいないのか、生返事だった。まあ、私自身、中学生にもなってタイムカプセルだなんて子供じみたこと、恥ずかしくてしたくないんだけれど。
 配られたプリントは上の方にはタイムカプセルを作ろう!と言う文字、右上の名前を書く欄のほかには、大きな枠がある。ここに何でも好きなことを書けと言われても。シャーペンを持ったまま固まっていると、左隣から「できた!」という声が聞こえた。
 驚いて声の主を見ると、目をキラキラとさせて、両手をぴんと伸ばしてプリントを掲げている。覗き込んでみると、くたびれた人のような、溌溂とした植物のような絵が描かれていた。そのなんと奇妙なことか!言いようもない気味悪さに思わずヒッと悲鳴を上げた。しかし当の本人は意に介さないどころか聞こえていないらしく、そのまま紙を持って先生に出しに行ってしまった。「へえ、すごいね」先生は言った。しかし私はそれが信じられなかった。あんなにも心臓を掴むような絵を見て、平然としていられるわけがないだろう!
「先生、これ終わったらどうすればいいの?」
「西原君、目上の人には敬語を使ってね」
「はあい」
「うーん、そうね、色なんか塗ったらいいんじゃない?」
「わあ!それナイスアイデア!」
「敬語ね」
 帰ってくるなり、彼は私に色鉛筆を持っているかと聞いた。それくらい予測していたはずなのに、私は焦ってしまった。色?ただせさえ今までにないほどに奇怪な絵に色などついてしまったらどうなってしまうんだ?ひょっとすると、それまでの歪さがすっかりなくなってしまうかもしれない。私はそれがとても惜しく思えた。しかし、私は果たして彼に色鉛筆を貸した。自分の義務めいた親切心に内心舌打ちをした。
「西原、それ何描いたの?」
「自分」
その言葉に波のような驚愕と、畏怖と、ある種崇拝の念が芽生えた。まるで美術の授業で習った天才画家みたいだ。私には到底理解できなかった。へんてこな自画像。あれで天才などと評価されるだなんてと私は胃がむかむかする思いだった。私の中で西原とピカソがイコールで繋がる。シャーペンを持つ。自分?自分っていうのはもっと、忠実に描くものでしょう。現実にいるんだから。抽象的にしたって、分かりずらくしたって、それに何の意味があるの。それが芸術だとでもいうの?理解できない。理解できないことが恐ろしい。けれど理解できないから美しい。受け入れ始める自分を振り払う。シャーペンを動かす。私はそんなの認めない。
「できた!」
「なにこれ?お前?」
西原が横から覗いてくるが気にならない。なんとでも褒めてくれて構わない。私は自分でも信じられないくらい忠実に描きあげられた自分自身を恍惚とした表情で眺めていた。
「変なの」
西原が顔をしかめる。私はぎょっとして「どこが」と食って掛かった。
「全然似てないよ。なんかアニメみたい」
 もう一度自分の絵を見てみる。確かに先程までの魅力的なオーラは放っていなかったけれど、それでも十分私に似ている。アニメみたいと言われても、私はそういう絵ばかり見てきたから仕方がない。西原が妬みからそんな嫌味を言ったのかと思い、私は席を勢いよく立つ。大きな音がしたのでクラス中の視線が私に集まる。けど気にしない。今だけはどうだっていい。
「あんたのだって、変だよ!きっと、1000年後の人が見たら、気持ち悪くって破り捨てるね!」
「そんなのわかんないだろ」
西原は明らかに気分を害したようだった。
「お前のそのオタク趣味の絵だって、気味悪がるだろうよ。人を描いたんだってことすらわかんないと思う」
しかし負けじと反撃してくる。
「じゃあ勝負よ!あんたの絵と私の絵、どっちが未来人に評価されるか」
「ああ、もちろん受けて立つぜ。けどそんなのできないだろ」
「何言ってんの。だってこれはタイムカプセルよ」

 二人の芸術家の絵は空き缶に入れられ、とある空き地に埋められた。埋めた後で、一体誰が掘り出してくれるのだろうと自分の無計画さに一抹の不安を覚えた。けれど、今更やめるわけにはいかない。

XXXX年、銀河系第509248惑星より出発した我々は、とうとうある星にたどり着きました。地表の物質を調べるため、あらゆる地点でサンプリングで行いました。すると奇妙な箱を発見したという報告がありました。危険物の可能性もあるので十分な警戒の元開けられたその箱の中には二枚の紙切れが入っていました。開いてみるとごくごく普通の似顔絵が二枚あっただけでした。しかし、かつてこの星に住んでいた我が同志らが、どうして何の変哲も、面白みもない紙きれを保管していたのかは謎です。

2/2/2023, 2:29:42 PM

 例えば、あの時私が泣き崩れる彼女の手をつかむことができたなら。或いは、優しい言葉をかけることができたなら。未来は変わっていたのだろうか。それとも私みたいなのが気まぐれに他人を慮ってみたところで、何一つ変わらずに、顔色一つ変えずに、世界は今と同じように回っているのだろうか。

______「ねえ、翔ちゃん、翔ちゃんったら」
初めは気遣うようなささやき声が、徐々に大きく、焦っているような声色に変わっていく。僕は意識の外で機械的に顔をあげた。まだ頭にはもやがかかっていて、自分の思考の居所をつかめない。その間にも翔ちゃんと呼ぶ声は続く。やがて僕は瞬きを数度繰り返し、呼ばれているのは自分なのだということ、そして今は理科の授業中であることを漸く思い出した。
「樋口さん、問の15番」
しわがれた声が教室に響く。先程まで明らかに寝ていた僕に、敢えて注意はせず、問題に答えるよう要求してくる彼は性格が悪いと評判の江川だ。僕は一度俯いてから隣の席の恵のほうを向く。恵も勿論僕を見ていて「翔ちゃん、答えはDだよ」と熱心に伝えてくる。僕はなんだか居心地の悪いむず痒い気分からすぐにはDと言うことはなく、問題を見て自分で解いている演技とも言えないような見栄を張った。しかし、問の15番と言うのが何処なのか見つけられず、結局微妙な陰鬱な気分のまま僕は江川の灰色のスーツのボタンあたりを眺めながら「でぃ、いー…です」と答えた。喉がひりひりした。「正解です」と聞こえるまで無意識に息を止めてしまっていた。僕はすっかり目が覚めてしまっていたので、机の上に広がる文字の羅列をぼーっと眺めていた。隣で恵が確かに笑った気配がした。
 2月ともなると、教室の中はがらんとしていた。学校よりも自宅のほうが受験勉強が捗るという意見に異論はないけれど、僕も恵も、学校に来た方が気持ちが落ち着くのにと思う側だった。僕なんか、私立を第一志望にしているので、あと一週間もしないうちに本番が来てしまう。緊張していることに間違いはない。今までの自分の受験に対する態度にそこまで自信があるわけでもない。けれど、もし学校に来ずにいたら、もっと僕は塞ぎ込んでしまっていたと思う。
 授業が終わって、数人の女子が集団でどこかへ行ってしまうと、教室はさらに過疎化した。窓の桟にもたれながら、恵が言う。「私ね、もうすぐ誕生日なんだ」知っている。わざわざ言わなくたって、去年も、一昨年も僕は恵の誕生日を祝った。プレゼントだって渡した。それなのに毎年毎年恵は誕生日を僕に教えてくる。2月29日なんて覚えやすい誕生日を簡単に忘れるわけがないのに。恵ってこういうところだよな。と、僕は自称客観的に隣の彼女を見定めた。彼女は意を決したように息を吸った。
「けどね、今年は家族で旅行に行くの。その…合格祝いも、含めて。だから翔ちゃんは、」
そこで彼女は一度区切った。
「今年は翔ちゃんとは、お出かけできない。ごめんね」
僕達は普通の友達ではなかった。少なくとも、世間一般的な清純な友情関係からは逸脱していた。手を繋いだり、キスしたりこそしないものの、僕らはたびたびデートまがいのことをし、愛情のようなものを分け合っていた。
 しかし、僕を襲った暴力的な衝撃は、僕が彼女の誕生日を独占できないということではなく、前半部分。彼女が何気なく言った、おそらくあまり意識せずに行った部分。”合格祝い”。僕は信じられないものを見るような目で、目の前のはにかむ彼女を見つめた。僕はてっきり、恵も僕と同じく、家の中でのあの脱力感や、あの生温かい空気感から逃げるようにして学校へ来ているものだと思っていた。受験への苦みを心に抱いていると思っていた。確かに彼女の志望高校は聞いたことがなかったけれど、合格したんだったらその時に言えばいいんだ。そして僕は気付いた。僕は自分が思っている以上に彼女から遠い存在だったのかもしれない。恋人ごっこだって、僕が勝手に思っていただけで、彼女からしたら何でもないありふれた友達同士の距離感だったのかもしれない。そのおぞましい仮定は急速に僕の体にしみわたり、絶望という文字が脳裏でちかちか光る。そんな、嫌だよ!と、どこかで誰かが叫んでいる。
 勿忘草が恵の誕生花だということも知っている。勿論本人が言ったのだ。良いことを考えた。彼女はよく本を読む。栞にしてしまおう。そうして彼女に渡してしまおう。そしたら、今までの不純な関係もすっぱり水に流して、尊い友人になってしまおうか。もとより、彼女から見た僕は他愛もない存在だったようだけれど。
 せめて泣かないようにしよう。彼女の記憶に汚点として残ってしまうことだけは避けたかった。素敵なものになれないなら、せめて普通で居たいから。
 第一志望には落ちた。僕は彼女に言ったんだ。併願優遇の私立に通うよと。彼女はそっかとだけ言った。僕にはそれがとてもそっけないものに聞こえた。夕暮れの差し込む教室で泣き喚いている僕と恵。恵は、何もせずただ突っ立っていた。どうすればいいのか途方に暮れているようだった。僕はもっと泣いた。泣き崩れた。しまいには、栞を恵に投げつけて教室から飛び出した。なんだか全部どうでもよくなっていた。

 例えば、あの時私が泣き崩れる彼女の手をつかむことができたなら。或いは、優しい言葉をかけることができたなら。未来は変わっていたのだろうか。それとも私みたいなのが気まぐれに他人を慮ってみたところで、何一つ変わらずに、顔色一つ変えずに、世界は今と同じように回っているのだろうか。
 ねえ、翔子ちゃん。そしたら私たちの関係って変わってたのかな。こんな熱烈な栞を残して、君はどこへ消えちゃったのかな。