「くさっ!」
「何だ、この酸っぱい臭いは?」
夏休みの美術室。私服のみんなは鼻を押さえて立ち上がり、バタバタと出て行った。私は筆を持ったまま、冷や汗が止まらない。
いや、正確には足汗だ。このままでは、臭いの元凶が私だとバレてしまう。何とか誤魔化さなければ。と、窓で、はためく雑巾が目に入った。濡れ衣を被せるなら、アイツしかいない。筆を置いて雑巾のもとに駆け寄る。
「は……半乾きの雑巾の臭いかもしれないっ。私、洗ってくるね!」
振り向くと、美術室には山﨑くんしか残っていなかった。でも、雑巾に罪をなすりつけるには、十分な証拠ができたはず。私はサンダルをパタパタと鳴らして、美術室を後にした。
☆
「なぜ、こんなに臭いんだ……」
校舎裏のグラウンドの水道の蛇口をひねると、水が勢いよく出てくる。雑巾を横に置き、冷たい水に足を浸すと、つんと鼻を刺す臭いがさらに広がる。
見上げれば、グラウンドの太陽は容赦なく照りつけていて、洗ったばかりの足をすぐに乾かしそうだ。これで美術室に戻れると雑巾に手をかけたとき、山﨑くんが廊下を歩いてくるのが見えた。
「高橋さん、大丈夫?」
「だっ、大丈夫。もう臭くないから」
「そう、足きれいになったんだね?」
「うん……って、えっ?」
山﨑くんは私の足元をじっと見ている。まるで、探偵が手かがりを見つけたように、右手で顎をさすりながら。
「油っこいお菓子でも食べて、太るの気にして、長い距離を歩いたとか?」
確かに。
昨日はプールで遊んだ後に、インスタントラーメンを食べた。しかも、二個。で、カロリーを帳消しにしようと思って、今日は学校まで一駅歩いた。
「なぜ、それを……」
「俺も同じことして、足臭くなったから。しかも、緊張で汗が酸性寄りになると、余計臭いんだって」
「いや……サンダルだったし……素足のままで臭くなる?」
「なるんだな。意外と」
また鼻がツンとした気がした。けれど、感傷に浸っている場合ではない。
「山﨑くん、お願い。誰にも言わないで」
「言わないよ。香ばしい記憶を共有したかっただけ」
山﨑くんが爽やかに笑う。私は素足、半笑いで突っ立ったまま。
臭いは排水口に流れたけど、記憶は流れない。もう二度と不摂生はしないと、深く心に刻み込んだ。
もう一歩だけ踏み出せば、今日も目標の7000歩に届く。しかし、暑すぎて溶けてしまいそう。私は布団から、もう一歩も動きたくないのだ。クーラーの風がそよそよと前髪を撫でる。このまま寝てしまいたい。
「お母さん、始業式に持ってく雑巾がない」
目を開くと、パジャマ姿の娘が、泣きそうな顔で座っていた。
「……何でこんな夜に言うかなあ。ちゃんと準備したって、さっき聞いたじゃない」
「忘れてた……」
娘の「忘れてた」は、もう千回は聞いた気がする。しばらく聞かずに済んでいたのに。私は仕方なく立ち上がる。7000歩達成。ふと、ラジオ体操の判子を貰ったような気分になった。
夏休みが終わる。