声が枯れるまで泣いたことはあるだろうか。
喉の奥がつっかかる感覚になんだか声も出ない気がして、認めてしまうのが怖くて、僕は。
ただ、呆然としていた。
大きな声を出したのは久しぶり、と彼女は鈴を転がしたような声で笑った。色があるのは彼女のまわりだけで、僕は愛想笑いのようなへたくそな相槌を打った。
そんなことより。
「抜け出してきて平気なの?」
僕がおどおどしながら尋ねると、
「大丈夫。もう何も怖くないもの」
と、彼女は言った。僕はその笑顔から目が離せなくて、何も言えなかった。
隣町のカラオケ屋。少し薄暗い店内に入るのを躊躇している僕の手を強引に引いて、彼女はさっさと手続きを済ませてしまった。ここフリータイムで八百円だから、と。僕は慌てて財布を確認して、しっかりと四千円は入っているのを見た。
「次はなに歌う?」
彼女が曲を検索し、端末からピピっと音が鳴った。
流れてきたのは、三年前に流行った曲だ。
「これ懐かしい、体育祭で踊ったよね」
僕が振り向くと、彼女はそうだっけ、と首を傾げた。
「サビで円形になってさ、たしか」
と、僕が腕を広げ、うろ覚えのダンスを表現する。意外と覚えているものだ。ちらっと彼女をみると、くすくすと笑いながら歌っている。
僕は調子に乗って立ち上がり、曲に合わせてくるっと回ってみせた。彼女も楽しそうに、腕をリズムに合わせて振った。
僕たちは同じ中学校だった。同じクラスになって、同じ図書委員会に入っていた。話してみると案外話が弾み、仲良くなった。お互いの家が同じ方向で、途中まで一緒に歩いたこともある。ゲーム、宿題、家族のこと。いろんなことを話した。
彼女が長く入院していると知ったのは最近だ。遠い高校を選んだ僕は、家を離れ、下宿生活を送っていた。母親からの電話でふと地元の中学校の話になった。その時に知ったのだ。
全然知らなかった。全く知るよしもなかったのだ。その頃彼女に何が起こっていたかなんて。
ブランコを漕ぐ。ぐん、と足を伸ばすとまた加速する。冷たい鎖をぎゅっと握る。遠ざかる青空。
街へ。
ぼくらには一つの目標がある。
「期末、どう」
「中間考査よりは落ちたけど」
まあ、それなり。
彼女は、はあ、と息を吐いた。ぼくはその二酸化炭素混じりの空気を吸う。駅のホームには誰もいない。次の列車まであと45分。呼吸するだけの45分だ。
「札幌?」
掲示板の札幌行きの文字をぼんやりと眺める。
「せめて、ね」
「いいね」
「きみは出るんだっけ、ここから」
出るよ、と呟いて、彼女の手元の英単語帳に目を落とす。この英単語、期末考査で意味を間違えたところだ。
彼女が息を吸う。
「生きていく上でさ、」
勉強って役に立つのかな。
唐突な話の転換に、思わず目を合わせて、はは、と笑う。
「なに? 悩んでるの?」
「そんなんじゃないけど。そういうこと考えない?」
「考えるけど」
でも。それでも、ぼくらの手札は勉強しかなくて。とりあえず、息のしづらいこの町から出て、街へ。
優しさとはなんだろう。
いま、この瞬間に校舎裏での脅迫的行為に気付いてないフリをするのが優しさ?
颯爽と登場して、悪者を成敗するのが優しさか?
それとも、教師を呼んできて事態を大きくするのが優しさなのだろうか。
ぼくはどれも違うと思う。
「大丈夫だった?」
決して何も損失がなかった訳ではないだろうが、「五体満足か?」という意味の大丈夫。
「うん、大丈夫」
穏便に済んでよかったよ、という意。
ぼくらの日常はとても脆く、少しの衝撃で大きく変化してしまう。変に目立たないように、権力を持たないように。息をするリズムですら、繊細なセンスが求められる。波のない状態を保ち続けることに全神経を使う。そんな毎日だ。
ぼくの行動一つで、明日のきみの環境が変わってしまう。逆もまた然り。ここまでは大丈夫だろうという驕りは、身を滅ぼす。この世界のおいての優しさは、行動を起こすことではない。身を寄せ合って一緒に生きることだ。どこまでも、一緒に。