最近のテレビは字幕が出ていいな、多少聞こえなくてもだいたいわかる。
わたしの淹れたコーヒーを飲みながら、父はそう言った。そうだね、と返した声は聞こえていないらしい。耳が遠くなったのは本当のようだ。
自分の分のコーヒーを淹れようと席を立つ。
ふと父の背中が視界に入り、あれ、こんなに哀愁があったかなと思う。
-それにしても美味しいコーヒーだな-
父の背中に字幕が流れた。
耳は遠くなったが、心は近くなったのかもしれない。
フリマアプリで「万物が自分自身を鏡で見たときの反応」という本を買った。
その本をパラパラとめくっていると、
水たまりが鏡で自分を見たとき、「俺のかたちって今がいちばん最高じゃね?」と言った。
というところにアンダーラインが引いてあった。
この読者とは話が合いそうだと思った。
眠りにつく前に書いたラブレターが、夢の中に出てきて、こう言う。
きみ、ちょっとこれはキザ過ぎるよ。
そして消しゴムを渡された。
あー、これもだめ、ここもだめ、消して。
そうやって消していくと、すべての文字が消えてしまった。
朝、起きると気が付いた。
好きですと一言も書いていなかったことを。
戦場で倒れた兵士の視界に、花が現れる。
こんなところにも花が咲くんだなと兵士がぼんやり思うと、「私は戦争が終わったら枯れます」と花が言った。続けて「だから私はずっと咲き続けています、きっと永遠に」と言って泣いた。
兵士は花に手をやって、ごめんなさいと言った。
花が枯れるのを見届けて、兵士は息を引き取った。
「カフェ 理想郷」という店に入った。
理想郷ってなんだろうなと思いながら、一つしかないメニューのコーヒーを頼んだ。
一つしかないということは、さぞスペシャルなコーヒーなのかと思ったが、味はいたって普通と感じた。それにしてもやたらと落ち着く。ロッジ風のお洒落な作りではあるが、似たような内装はよくある。カフェライターのわたしとしては今の所、書くべきことはないと思っている。
やたらと落ち着くこと以外は。
ふとお店のパンフレットに目がとまり、手に取る。
コーヒーの写真と、キャッチコピーのような言葉が書いてある。
ここは、私にとっての理想郷。あなたにとってはわかりませんが。
やたらと落ち着くのはそのせいか。
店主と結婚する数年前の話である。