アシロ

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12/29/2024, 12:56:58 PM

※創作百合


「いっ······!」
 がちり。というしっかりと明確な音を認識すると同時に、口内の一箇所を襲う燃やされているかのような激しい痛み。ああ、またやってしまった。そう理解するまでに要した時間はきっと一秒にも満ちていない。
「······ったぁあ······」
 右手に持っていた箸を反射的に弁当箱の上に乗せ、今しがた大層な傷を負ってしまった右頬を両の掌で覆う。しかし勿論そんな行動には何の意味も無くて、ジンジンと尾を引く痛みの中に微かな鉄味を感じ取りながら、私は暴れ出したい衝動を必死に堪えながらただひたすら痛みが何処かへ去っていくのを待ち、耐え忍ぶ。
 そんな私の挙動の一部始終を真正面という特等席で全て見ていた友人──美柑(みかん)は、心配をするどころか呆れたような眼差しで、まるでつまらない映画を鑑賞させられたとばかりの態度で机に片肘を置き、至極どうでもよさそうに口を開く。
「まぁたやってるよ。流石に見飽きたわ」
「〜っ、うるさいなぁ······!」
 私だって好き好んでこんなことをしているわけじゃない。でも、自分の意思でどうこう出来るものでもなかった。
「な〜にが悪いんだろうねぇ? どうにかなんないの? その変な噛み癖」
「今回は、その······二日ぐらい前から左側に口内炎が出来ててぇ······だから右側で噛んで食べてたら······」
「いつも通り“がぶり”、ってわけねー。ていうか、その左側の口内炎の話、あたし聞いてないんですけど?」
「う······、だって······」
 今まで必死に美柑から逸らしていた目を、ほんの少ぅし、そちらへ向ける。向かい合わせてくっつけている美柑の机の上。弁当箱の横に、まるで威圧感を放つかのごとく堂々と鎮座しているソレ。
「言ってくれればさぁ、ほら。あたしいつだって分けてあげるって言ってんじゃん」
 私の顔を下から覗き込むようにして見上げてくる美柑の瞳は綺麗な三日月の形で笑んでいて、ドラマの悪役もビックリな悪人顔で弁当箱の横のソレを人差し指で艶めかしく一撫でする。あまりの悍ましさについ「ヒッ」と恐怖に引き攣った情けない声が飛び出た。
「やめてぇ······! それだけは、それだけはぁ······!!」
 座っている椅子をガタガタと喧しく鳴らしながら背後へ後退し物理的に距離を取る私を胡乱げにジッと見つめ、次いでその視線を例のブツ──みかんへと移し暫し見つめた後······美柑は「ハァーー······」と深々と溜め息を吐いた。
「ったく······なぁんでそんなに毛嫌いするかなぁ? みかん」
 美味しいのに、とみかんを見遣りながらどこか寂しげに零す彼女の様子を観察しながら、ジリジリと椅子ごと元の位置へと時間を掛けてゆっくり戻る。
 そう、私は大のみかん嫌いだ。幼い頃、気付いた時にはもう既に手遅れなほどに苦手意識が染み付いてしまっていた。少し厚い皮を指で剥く感触とか、実にくっついている白い部分とか、口に入れた時に甘さよりも先に来る酸っぱさだとか······もうとにかく、何もかもが苦手でしょうがない。それに輪をかけて私のみかん嫌いに拍車をかけたのは、頻繁に作ってしまう口内炎の存在だった。「みかんは口内炎に効くからねぇ」なんて言いながら、同居していた祖母に半ば無理矢理馬鹿みたいな量を手ずから食べさせられたのだ。それが私にとって決定的なトラウマとなってしまったのは言うまでもない。
 そう、私はみかんが嫌いだ。みかんのことが大嫌いだ。そのはず、だったのに。
「じっちゃんばっちゃんが農家やっててさぁ、この時期になると大量に送り付けてくんの」
 いつのことだったか、今日みたいに昼休みに一緒にご飯を食べていた時。毎回デザートとしてみかんを必ず持参してきていた彼女に理由を聞けば、そんな答えが返ってきた。「好きだから全然いいんだけどね〜」と笑いながら、みかんの皮に親指を突き立て、濃いオレンジ色を丁寧に剥いていく細くて白い綺麗な指。手元に視線を落としていることで伏し目になったその瞼から伸びる、黒々とした長い睫毛。食べるのが余程楽しみなのであろう、ゆるやかに弧を描く口元はほんのりとリップで淡く色付いていて。本人曰く天然らしい、太陽の光を受けた少し明るい茶色の髪には、天使の輪が神々しく乗せられていた。
 あの時、私は思ってしまった。考えてしまった。彼女に愛されるみかんが羨ましくて、憎らしくて。みかんなんかよりも彼女の方がずっとずっと美味しいに決まっている、なんて。
 そんな、馬鹿げた、戯言を──。
「ほれ、あーん!」
「むゥ!?」
 不意を突かれた唇はあっさりと開かれ、押し付けられた“何か”を何の抵抗もせず口内へと受け入れてしまう。鼻で感じる匂い、舌で確かめる感触、ゆっくりと慎重に歯を立て破いた薄皮。瞬間、中の果肉が“ぐちゅり”と果汁と共に飛び出る。ああ、酸っぱいよ。さっき噛んだところに染みて痛いよ、馬鹿。馬鹿、馬鹿、馬鹿。
「この美柑様のみかんが食えぬと申すかー! なんちゃって〜」
 文句の一つ、いや二つでも三つでも言ってやりたいところだったけど、今はまだ口の中に憎きアイツが居らっしゃるので。食べ物を口に入れたまま喋るのはマナーとしてどうかと思うし? 仕方なく、本当に仕方なく、抗議をすることは我慢したけど。
「早く治せよ〜、口内炎」
 ニッといたずらっ子みたいな表情で笑う美柑を見たら、例え口のなかに何も入っていなくても、きっと私はどんな言葉も紡げやしなかった。
 ああ、もう、本当に。
 憎いよ、みかん。
 狡いよ、みかん。

12/28/2024, 5:48:51 PM

 冬休みというものを嬉しいと思ったことは一度もなかった。夏休みとは違いその期間は著しく短く、なのに宿題という要らないオマケは変わらずについてくる。それだけでも不公平だというのに、冬休みには夏休みほどの楽しみな行事がない。クリスマスはいいだろう、あれだけは確かに良いイベントだった。両親から、そして後に父が扮していたと発覚するサンタさんからプレゼントを貰えて、イブの夜には母が私と妹の好物を夜ご飯に作ってくれた。
 しかしそれ以外はどうだ。自分の好きな歌手が出ない紅白歌合戦には何の意味もなく、私の子供時分にはまだ「ガキ使」のようなバラエティ番組を見ながら年を越す、といったことはなかった。そして0時少し前ぐらいになると、好きでも嫌いでもないカップの蕎麦を用意され形式的に食す。そうして年を越し就寝し、寝る前に会ったばかりだというのに目が覚め新年になったというだけのことで家族達への挨拶は「あけましておめでとう」。子供ながらに、この違和感だけはずっと拭えなかった記憶がある。
 食わず嫌いかつ偏食気味だったため、おせち料理もお雑煮も好きではなかった。初詣は質素なもので、徒歩十分ほどの距離にある地元の小さな八幡神社へ家族揃ってお参りへ。もっと有名で、出店などが出ると聞く大きい神社への初詣に憧れていた時期もあったが、私は人混みが苦手なのでこれに関しては別に良かったのではないかと今なら納得出来る。父も人混みが嫌いな人間だ。かと言って、車で送迎だけして車内でただ待つことに対してもあまりよく思わない人だ。そういう色々な理由の元、我が家での初詣はあの形で落ち着いたのだろう。
 元旦が過ぎ、二〜四日ほどの間の何処かで父方の祖父母の家に行くイベントがあった。我が家の父は婿養子として母方の実家で共に暮らしており、結婚を機に母方のものへと姓を変えている。母は一人っ子だが、父は五人兄弟の下から二番目だとか、それぐらいの序列であった。父方の実家の隣には一番上のお兄さん夫婦とその子供(私たち姉妹と一番年齢が近い男の子兄弟)が暮らしており、ハッキリ言ってもうあの家に父の居場所なんてものは無いに等しかった。
 娘の私から見ても父は相当な変わり者で、嫌な人間だとか性格が悪いだとかではないのだが、他人の感情の機微に疎い、情が薄い、他人の気持ちがわからない、まさに薄情と言えるような人間だった。だから父は、別に年始に里帰りをする必要性など正直全く感じていなかったのではないかと、今だから思う。それよりも、世間体を気にする母が率先して父の里帰りを決めている、といった感じだった。
 父方の祖父も祖母も悪い人たちではなかったが、所詮私たちは外孫。私たちにしたって祖父母にどう接したらいいのかよくわからなかったし、祖父母は明らかに内孫である長男夫婦の子供である男兄弟──つまりは私たちの従兄弟達──を溺愛していた。そんな従兄弟達とは小学校を卒業する頃までは一緒に遊んだり話をしたりと交友を育んでいたが、年頃のせいか、その後は向こうから私たちのことを避け始め、以来ろくに会話もしなくなった。父方の祖父母が亡くなったのは私が二十代になりその半ばか後半辺りに差し掛かった頃だったと記憶しているが、祖父母の葬儀で同じ部屋に居ても、同じ場所で食事をしても、彼らとは一切言葉を交わすことはなかった。ある意味で父方の人間だなぁと感心せざるをえない。しかしながら私たち姉妹にも父の血は通っているわけなので、あまり他人のことを言える立場でもないかもしれない。まぁ要するに、このエピソードの終着点としては、年齢を重ねるたびに父方の実家へ顔を出すのが億劫になっていったという話だ。だからこれも、冬休みに魅力を感じなかった要因の一つとしての責務を立派に果たしている。



 このように、幼少期の頃から冬休みというものに思い入れなどなく、また、大学に進学してからはアルバイト、そしてその後十五年もの付き合いとなるパート先が両方ともサービス業であったことが災いし、冬休みという概念はもうずっと長いこと私の中には存在していなかった。それは冬休みのみではなく、ゴールデンウィーク、夏の盆休み等、他の長期休暇に関しても言えることではあるのだが、今回そちらの話は一旦横に置いておくとして。
 なんとそんな私に、今年はどうやら冬休みとやらがあるらしい。先にも触れた、十五年勤めた職場を春先に退職し、紆余曲折あったのち夏頃から派遣社員としてとあるお店のネット通販担当、その中でもデータ入力系の作業を主にこなす職に就くことが出来た。お店もネット通販も年末年始は営業をしておらず、営業をしていないということは必然的に仕事も無いということで、十日間の冬季休暇が果たして何年振りだろうか······突然降って湧いて落っこちてきたのである。
 けれども、幼かった頃と違い、今の私はこの冬休みに嫌な印象は全く持っていない。それはあまりにも長い年月、冬休みというものと縁のない日々を過ごしてきたからなのか、はたまた年齢を重ねることで感性が変わった、または思い出が風化していきほとんど輪郭のみを残して中身が消えてしまったからなのか、理由には本当に何も見当がつかない状態ではあるのだが。
 年齢を重ねると、昔出来なかったことが出来るようになる、食べられなかったものを食べることが出来るようになる、といった変化が度々起こるわけなのだが、今回のコレもそういう類いのものなのか。ここまでの人生、辛いことも苦しいこともたくさんあった。その中で自ら命を断ちたいと願ったことも一度や二度では済まないほど、あった。それなのに私は今に至るまで生き続けてしまって、それを悔いることも有るには有るのだが、しかしこうも思ったのだ。一日一日のたくさんの積み重ねでこの場所まで来て、高く積み上げられた「日々」のてっぺん。「今」という現在地。ここまで来れたからこそ、遙か下方に辛うじて瞳で捕えられるほど小さくなった「思い出」を、こうやってこの場所から見下ろしてやるのも悪くないんじゃないか、と。「大人になる」ということは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。
 とりあえず今は、久々に到来した「冬休み」を、大人げなく楽しみ尽くすこととしよう。