日々、色々と言いたいことは沢山あるのだが、なかなかそれを言葉にすることができない。仕事をしている時だって、聞きたいことを上手く出力できず、時間をかけて文章を作っても、やっぱり上手く伝わらない。
大人になってから、こういったエラーが沢山起こるようになった。子供の頃はこういったことなどなかったというのに。
私の伝え方が悪くなったのか、それとも子供と大人のコミュニケーションが違うからか。あるいは、もう私の言葉が、耳を傾けるに値するものではなくなったからなのか。きっと全てだろう。
終電手前の時間になると、改札や駅のホームなどで、イチャついているカップルをよく見る。ハグしていたり、睦言を囁いていたりと、人によって千差万別であるが、人目も憚らずにやっていて、よくやるものだと思う。ましてやキスなど恥ずかしくならないのかとも思う。
しかし、あれをやっている時は、二人だけの世界なので、周囲など気にならないのだろう。こういった目で見ている私もまた、所詮は僻みの一種であると言いわれても仕方ない。
ただ、仮に私に相手ができたとしても、人前でイチャコラできるかといえば、きっとできないと思う。前述の通り恥ずかしいし、迷惑だしね。
子供の頃、ブランコを一周させるのが流行っていた。グルッと回して、上部のバーに鎖が巻き付くような形にするのである。
もちろん私はできなかったが、できた人もいた。さながら大回転のように、大きく回る様は見ものだった。
当然今度は逆に回して鎖の巻きつきを戻さなければならない訳で、立場が弱いからその作業を押し付けられる訳で、それがまた面倒で面倒で。
朝起きて、出勤する時、毎日憂鬱な気分になる。家を出たばかりなのに、もう帰りたい。
それでも、天気が晴れていると、少しだけ良い気分になる。快晴ならばなおのこと良し。
大抵朝の日差しが目に刺さって痛いけれど、それで少しは目も覚める。せめて後1日、頑張ろう。
毎日何か、意味ある夢を見ている、と思う。普段の就寝中もそうだし、仕事の昼休みに寝ている時にも見ているはずだ。なんなら、仕事中の昼寝の方が、何やら面白い夢を見ているようにも思う。
しかし、起きるとそれを忘れてしまっている。嫌なことが多い現実で、それを忘れられる夢はとても貴重で、それが現実でなくてもせめて覚えておきたいとだけは思うのだが、どうしても忘れてしまう。