同じの「同」に感情の「情」。
その二つを組み合わせたものを、「同情」と呼ぶ。
けれども、それは「同じ感情」という意味ではないのだろう。
同情している側がされている側の感情を幾ら推し測ったところで、その感情は同情している側の創り出した虚像にすぎない。
相手と寸分の狂いもなく、完璧に同じ感情を共有するなどということは、結局のところ不可能なのだろうと思う。
だが、同情とは一種の包容であると私には思えてならないのだ。
相手の感情を想像し、寄り添い、まるで自分のことのように考える。差異は免れないかもしれない。しかし、同情している時、人は自分の心を一旦放置し、相手のために使っているのだ。それは相手の心への包容と言えるのではないか。
それこそが同情の真価なのではないだろうか。
これは、ある夜の私の戯言であった。
わざわざお気に入り登録までして
私にそっとハートマークを送ってくれる
貴方たちへ。
いつもありがとう。
「お気に入り」
今日のお題:どこにも書けないこと
なんだ?心の奥底にあるこいつらを、ここに書いてもいいってか?
ありがとな、おまえ、やさしいな。
そうやって、心の内を吐き出せる場所を作ってくれてるっていう事実そのものが、俺は嬉しいよ。
けどな、俺は大丈夫だ。
だからその分、誰かを救ってやってくれ。
「どこにも書けないこと」
I LOVE……
その先が言えないのだ。
あ、別の言語で言えばいけるんじゃね?
そう思って「I LOVE YOU 外国語」と検索
しようとしてやめた。
相手に意味が通じなければ、意味をなさないことに気づいたからである。
【I LOVE…】
三日月はしょっぱかった。
雲は砂糖の味がした。
雨は少し苦かった。
虹はさっぱりしたジュースみたいで、
雪は夏の味がした。
満月はおせんべいの味がして、
青い空は炭酸水のようにしゅわしゅわと弾けた。
大人になるにつれて、味を感じなくなってしまった。
きっともう、二度と味わえないのだろう。
『三日月』