※閲覧注意※
IF歴史、タイムトラベラーなモブが居る。
意味不明な世界線。自分だけが楽しい。
《海の底》
沈むしかない。
未来は変えられない。
顛末を知っている者から見れば、海底に沈む運命と断言するべき状況。
その背を推してやるのが餞とさえ思える程に。
何故、あなたが沈まなければならないのか。
あぁ、あなたを救う術はないのか。
愛しい人を、未来ある筈の幼子を、時代と言う名の奔流が押し流していくのを、ただ茫然と見送るしかないのか。
『海の底にも、都はあります。』
時代の勝者か、あるいは後世に記されたであろう伝記の胡散臭い台詞が、耳朶をざわつかせる。
「…なんだかなぁ。」
遣る瀬無く見上げた空は、抜けるように青かった。
良い天気だ、なんて呑気な感想が隣から聴こえてきて、いよいよ身震いした。
「それ、今?アンタが言う?」
呑気な感想を述べた当の本人は、何か問題でもあるのかと嘯いている。
「あー、別に。個人的に、あんま聴きたくなかったなぁ、ってだけ。」
おかしなヤツ認定されている為、また妙な独り言かと、相手は処理した様だった。
『折を見て、木船に乗れ。』
《お前は連れて行かない。》
そう言い切った背中は、いつも通り高揚していて、いつもよりは少しばかり小さく見えた。
「アンタも、楽しんで来なよ。」
小さく呟いて、『最期の宴』に向かう背中を見送った。
「君に会いたくて」
名前を呼んでみる。
連絡してみる。
メール?チャット?電話?
色んな方法が溢れていて、悩ましい。
そもそも、いつの話なのさ。
今日?明日?明後日?都合が着く最短日?
今すぐって、結構難しいし、困らせちゃうかも。
《君に会いたいんだ。》
その一言が、とても近くて遠い。
【君に会いたくて】
「美しい」
美しいとは何か。
仏の教えでは、泥中の蓮や清らかな精神性を示すらしい。無垢なる魂とも言えるのかもしれない。
神に連なる聖なる者の教えには、修練を重ねた後の審判において、その可否が下されるらしい。
何をもって美しいとするのかは、きっとわたしの心持ち次第なのだろう。
※閲覧注意※
【美しい】
泥中の蓮の如く、美しい。
どれ程に傷付けられても、傷付いても。
どれ程の苦難に遭おうとも、足掻き藻掻く。
その矜持と誇りを護りたいとさえ思わせる。
泥中に埋まりそうになる度、足を取られかける度に、その手は確かにこちらへ伸びてくる。
引き上げてやるから、掴まれ。
決して離すな、と
その手はいつも暖かく、温もりに満ちている。
愛と情けが溢れていて、縋るべきでは無いのに、縋ってしまう。
いつかその手の主を泥中に沈めてしまうのではないかと恐れ慄いても、それすら振り払う温かな手が己を引き上げていくのだ。
「この世界は」
歪んでいるのかしら。
正しく巡っているのかしら。
混沌のまま巡り巡って。
それでもなお、美しいのだと言われている。
それは世界?それとも、この星々のこと?
不確かな事だらけの今世に、果たして救いはあるのでしょうか…?
乞うご期待!
…なんてね。
「どうして」
道を間違えたのか。
違和感を勘違いと誤魔化したのが根源か。
あの日の困惑から目を背けたのが始まりか。
無邪気に問う声は、ひたすらに明るく。
だと言うのに、嗚咽を堪えて泣いている。
あぁ、どうして。
それでも前を向かなければいけないと急かす声もする。
ゆっくり休めばまた同じ場所に戻れるよと宥める声もする。
そこへは絶対に戻ってはならないと止める声もする。
まだ、惑いの中にいるわたしを守ろう。
揺り動かす外の刺激から、受け取れるものを選りすぐろう。