もしもタイムマシンがあったなら
過去に戻ってやり直したいと,思っていた。
あの時こうしていればとか、あんなことしていなければとか、後悔があるから。
過去のその時点に戻って、後悔しないようにやり直せば幸せな今があるはず。
本当にそう?
自問してみる。
そんなふうに過去を否定している限り、また違う時点で同じような決断や行動を起こして、結局同じことの繰り返しになるのでは?
過去をやり直すのではなく、過去を受け入れる方が、ずっとずっと今を幸せに生きられる可能性が広がるのではないかな。
だからタイムマシンがあって過去に戻れるとしたら、一生懸命生きていた過去の自分に、ありがとうを伝えたい。
終わりにしよう
今日のお題を見た時に、考え込んだ。
重い話になるなって思ったから。書いていいのやら悩んだ。
今終わりにしようと思う事は、40年続いた結婚生活。
もう取り返す事ができない、私の40年。
全て消し去りたいと思うような夫の言葉。
ふっと虚しさが押し寄せてきた。
今までずっと持ち続けていた違和感の答えが見つかったような気がした。
暴力とか、浮気とか、そんなんじゃ無くて。
日々の生活の中に自然と溶け込んでいて、何かわからないけどモヤモヤとした違和感。
言葉にできるような、できないような。
ああ、これか!って気づいてしまった感じ。
だからもう終わりにしたい。
終わりにした後のことは今はまだ見えてこないが、それでもいいのだ。
もう、こたえはとっくに持っていたのに、行動出来なかっただけの事だから。
【手を取り合って】
手を取り合って共に生きる人がいたら、どんなに心強いだろうか。
そして、どんなに暖かく豊かな人生だろうか。
手を取り合うという実感が無く、ひとりぼっちで生きてきた気がしてしまう。
実際には家族がいて、友人もいて、決して1人ではないのに、この孤独感。
それは自分が手を取り合おうとしないから。
自らその手を振り解こうとして生きてきたから。
手を伸ばせば温かい、多くの手が目の前にはあることを自分で無いものとして生きてきたんだ。
それは幻では無くて、確かにそこにあるものなんだよと心から思えたら、きっと強く手を取り合って生きていけるのだろう。
優越感も劣等感の現れだ。
劣等感がなければ、優越感に浸る必要もない。
誰かと比べる必要なんてないんだって事がわかれば、他人と比べて劣っているとか、優っているとかどうでもいい事。
比べるから苦しくなるし、更に自分を奮い立たせてもっともっと頑張るか、悔し紛れに強がりを言って紛らわすしか無くなる。
そもそも他人と自分の何を比べているの?
それは比べるべきものなの?
しっかりと自問自答してみよう。
これまでずっと過去に引きずられて前を向けずに生きてきた。
なんとかしたいと思って、本を読んだりセミナーに参加してみたり、自分を変えたいと行動もしてきた。
それでも何か変わってきた実感が無くて、なんともならない自分に絶望感しかない。
これまでの人生を悔いている限り、前を向いて進むことができないんだろうなと漠然と思うけど、じゃあどうしたらいいかが、いまだに不明。
過去を無かった事にしてしまう?
過去があるから今の自分があるんだと、どんな過去も受け入れる?
なかなかどんな境地にも辿り着けずに、人生を終えるのかもしれない。