受験生

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12/17/2024, 3:01:23 PM

好きな人と話す時「とりとめもない話」をよくしてしまっている気がする。私は人と話すことは好きだがけして巧いわけではない。それでも下手なりの努力は続けていて、何を伝えたいかを明確にして話すことを心がけたり色々試している。でも好きな人と話す時はどうしてもダメなのだ。話したいが話すことが大事な時に限って見つからない、それでもどうしても話したくてたまらない。何も無くても相手とどうしても話したい時、私は「とりとめもない話」をしてしまうのだ。こんなオチも正解も欠いたこの文章も私の「とりとめもない話」のひとつである。
だが私は、好きな人にこんな「とりとめもない話」を聞いてもらえる時間がほんの少し好きだ。「とりとめもない話」というのは案外、良いものな気がする。

12/16/2024, 4:46:04 PM

私は「風邪」が嫌いではない。風邪は万病の元と昔から言われるほど多くの人を苦しめ、忌み嫌われて来たことは知っている。それでも、私の「風邪」の思い出は、母が作ってくれたすりリンゴとひんやりとしたプリンの味がする。多くの人の「風邪」の思い出は大抵良いものとは言えないものかもしれない。しかし、私にとっての「風邪」は母との思い出を鮮明に思い出させてくれる憎らしくも愛おしい存在である。
私は「風邪」が嫌いな人たちの思い出が私が母に貰ったすりリンゴのように優しいものになって欲しい。そして、私も多くの人の辛い思い出を少しでも暖かく優しいものに出来るようになりたい。






お母さんいつもありがとう。

12/15/2024, 12:42:02 PM

私にとって「雪を待つ」ということは、誕生日プレゼントを待つことと同じである。誕生日プレゼントは、誰しもが必ず受け取ることが出来るとは限らないし、誕生日である日付が来るまで受け取ることが出来ない。雪というものも同じように、誰しもが同じ雪を見れるとも限らないし地域によっては雪が降ることがない場所もあるかもしれない、そして「雪を待つ」ことが出来るのは冬という限られた季節だけである。
だが、どちらとも必ず待ってしまいたくなるほど私にとってとても楽しみなものである。必ず見れるとも、受け取れるとも思ってしまっては裏切られた時に悲しくなってしまうので口には出せないが、私は誕生日プレゼントを待つように、毎年雪が降ってくれることを楽しみに待っている。