『好きな本』
シンプルに私の好きな本を紹介します。
私の好きな本は、雨穴さんの著書「変な家」です。
分類的にはホラーに当たるのかな?
でも、お化けとかではなくて奇妙で怖いとかそんな感じです。
なので、心霊が苦手な方でも全然読めます。
私も心霊系は苦手だけどスラスラ読めました。
そして、話のほとんどが登場人物の会話文で構成されているのでとても読みやすいです。
また、「奇妙な家の間取り図」がテーマなので図も多くて、「文字がたくさんなのは読むのがしんどい…」「いつも話の途中で訳が分からなくなる」という人でも、読みやすいです。
ページをめくるたびに想像が膨らんでゾクゾクするし、驚くような展開が次々と訪れるので読む手が止まらなくなります。
ホラーが苦手な人もそうではない人もめちゃくちゃ楽しめる作品です!
ぜひ手に取って読んでみてください。
『好き嫌い』
私は母から食べ物の好き嫌いに関して「好き嫌いがあるのはいい。だけど、食べれないのはだめ」と言われてきた。
確かに、大人になって会食の場などで「嫌いだから食べれません」とは言えない。
母の教えは正しいと思った。
これは、食べ物に限らず他のことにも言えるのではないだろうか。
人に関しても「好き嫌い」はあっていいと思う。「あの子はなんとなく自分と合わないから嫌い」「この子は一緒にいて楽しいから好き」
このようなことを心で思うのは自由だ。
ただ、それを表に出してはいけない。
あからさまに自分の嫌いな人を避けるのは良くないので、最低限の付き合いみたいなものは必要だ。
それにしても小さい子どもはいいなぁ。
「あれは好き」「これは嫌い」「あの子は好き」「でもあの子は嫌い」がはっきり言えて。
大人になるにつれて好き嫌いは複雑になっていく。嫉妬、恋愛感情なども絡んでくる。
子どものときのように純粋ではないから。いろいろ考えてしまうから。臆病だから。直接口に出して「嫌い」とは言えなくなる。
だから、みんな裏で言う。それが、俗に言ういじめというやつなのだろうか。
「相手の気持ちを考えて行動する」なんて、言葉だけ。
本当に相手の気持ちを考えて行動することがいじめを無くすことに繋がると思っているなら、
裏で言うのではなく、本人に直接「あなたのこういうところが私は嫌いなんだ。だから、こうしてほしい」とはっきり言えばいいのではないか。
直接はっきり言うことが問題なんじゃない。
その言い方が問題なのだ。自分の思っていることを自分の言葉で伝えれば、きっと、相手もわかってくれる…はず。
『やりたいこと』
「やりたいことは?」と聞かれてパッと答えられる人は少ないと思う。
やっと思いついても、「どーせできないし」と思ってしまう。
最初からできないと決めてしまうのは良くないことだと言うけれど。
この「どうせ」の気持ちに勝てる人間になりたいと思う。
ちょっと話がお題とずれてしまったかな?
ちなみに私が今一番やりたいことは漫才です。
お笑いにハマっているので。
「まあ"どうせ"、恥ずかしがりの私には無理でしょ。」
この気持ちに勝てる日が来るといいな。
『朝日』
私にはあまり、朝、カーテンを開けて朝日を浴びるという習慣がない。
朝日を浴びたほうが体内時計を合わせるためにもいいのだろうが、うちではそうしてこなかった。
でもたまーに、部屋のカーテンが開いていて朝日を浴びることがある。
そういう日は、なんだか気分が良くて、「今日一日頑張ろう」って思える。
陽の光って、人間の気分を変えてしまうんだ。
不思議なのは、人の心を変える"陽の光"だろうか。それとも、陽の光によって心が変わる"人間"のほうだろうか。
『岐路』
岐路とは分かれ道のことを言うらしい。
人は常に人生の岐路に立たされていると思う。
私だってそうだ。
クイズの2択には正解と不正解がある。
でも、人生には正解も不正解もないと思う。
どちらを選んだって正解であり、不正解。
それが果たして正しい選択だったのかは、誰にも分からない。
「あのとき、あっちにしておけばよかった」
でも人生に「もしも」は無い。過去には戻れない。
だから人は後悔しないように正しい方を選ぼうとするが、いつだって正しい選択をできるとは限らない。
人は、一生人生の2択(=岐路)に悩みながら生きていくんだろうな。
「これで良かったのだろうか」、と。