ひとり旅が好きで、暇さえあればどこに行こうかと妄想している。誰も私のことを知らず、私も誰のことも知らない土地で、どこに行くのも自由気ままという解放感は一度味わったらやめられない。
ひとり映画館も好きだ。家族連れやカップルで賑わう休日の昼間ではなく、もっぱら仕事後のレイトショー。各々違う場所で社会と闘っている者同士が夜のひととき奇跡的に集結し、同じものを観て感動し、けれども特別分かち合うことなく別れていく「行きずりの仲間」感がたまらない。
ひとりカフェ、ひとりごはんも大好きだ。好きな場所で、美味しい珈琲を飲んで、好きなものを食べてくつろぐのが人生最大の楽しみだと思っている。手もとに本があれば尚最高。
私にとって当たり前すぎるこれらの思考・行動は、ときに人を哀しい気持ちにさせるらしい。
「寂しくないの?」
「誰か紹介できそうな良い人がいればいいけど…」
「私が一緒に行ってあげようか?」等々。
おひとりさまが徐々に市民権を得てきたと思いきや、やはり根強い同調圧力。なぜ少数派の人間を放っておいてくれないのか。
親切心とわかっているから無下にもできず、中途半端に死んだスマイルで華麗にスルーする。このあたりの技術は年々磨かれていき、もはや人に不快感を与えることなく話を切り上げることはお手の物だ。
どうせならもっと汎用性のあるスキルを…と思いつつ、今日も私はひとりカフェにて、これから観るレイトショーに想いを馳せている。
星空を見ると、大学時代を思い出す。
引っ込み思案で嫌なことがあるとすぐ逃げる、ハッキリ言ってダメ人間だけれどとても優しい友人と一緒に、よく星空を見上げていた。とくに大きな流星群がくる日は、寒さに凍えながらも大学の校舎から飽きずに眺めていたものだ。私は、ひとりぼっちの彼女を救う明るい救世主のふりをして、じつは自分が救われていたんだなと今は思う。
いちばん最後の講義が終わると、冬の外はもう真っ暗。お腹も空いているけど、家も嫌いじゃないけど、もうしばらくこの非日常の世界に浸っていたい。
大学を卒業したら、社会人として毎日働かなきゃならない。特別何の才能もなく、アピールポイントもなく、やりたい仕事なんて見つかるんだろうか。そもそも就活すらまだ始めていないし。恋愛もしていないし、今後結婚なんてできるんだろうか。人並みに立派な大人になれるんだろうか。
大きく弧を描く流れ星を見つけたとき、友人と柄にもなく跳び跳ねてはしゃいで、そんな諸々の不安な気持ちが一瞬吹き飛ぶようだった。
あれから十数年経つけれど、私はちっとも大人になっていない。ただやりたいことだけを自由にやって、大した責任も負わない仕事で細々と食いつないでいる。友人に至っては、いい齢して実家暮らしのフリーターだ。
それでも今、あのときと変わらず最高に楽しい。