私の友達は…私と友達なの。
ああ、ごめんなさい。わかりにくかったわよね。
私は紙なの。そう、植物とその他の繊維を膠着させてつくった、字や絵をかいたりする、あの紙。
あの子は…私に自分の思いを吐き出す。きっと人間には言えないのね――内容も、気持ちの良いものばかりとは言えないし。
だから、人間ではない、だけれど友達の私にあの子は言う。思いを、考えを。
熱烈なそれは、時に苦しくなることもあるけれど。
…ええ、受け止めるわ。そう難しいことではないの。
あの子とはずぅっと昔から友達よ。助けてあげたいと思うの。
受け止めるわ――そう、消えるまで。私が燃やされてしまうまで。この命が燃え尽きるまで、ずっと。
胸の鼓動…と聞いて真っ先に思い浮かぶのが恋や生ではなく「発表の緊張」なあたり、私は一生恋愛なんてできないだろうなぁと思う。
別段したいわけでもないけれど。……いや、言い訳がましくなったが本当だ。
私は緊張が嫌いだ…。あれは焦燥感によく似ている。行きたくもない学校に急ぐのが嫌だからと毎朝早く行っていたぐらい、焦燥感が嫌いだから、つまり緊張は嫌いだ。
どくどくとうるさい胸は落ち着かない。
やらなきゃいけないとさらに焦る。
終わったあともしばらくうるさいのだってウザったい。
すぅと息を吸ってふぅう、と不安定に吐く。何回やらないといけないといけないのだと少し苛立つ心もある。
だけど、緊張は心地いい達成感を連れてくる。
じわじわと染みてくる、親愛などよりは熱く、勝利の喜びよりは少しだけ大人びた味の達成感。
あれは…あの達成感は…そうだな。嫌いじゃあないかもしれない。
緊張は、まだ嫌いだけれど…うん、頭ごなしに嫌うことはないかも…しれない。少なくとも、あの達成感を忘れない限り。
踊るように…
母はよく踊っている。自分で歌いながら、あるいは流してる曲に合わせて。
幼い頃からそうだ。記憶の中の、母の踊る様を、随分と鮮明に、そしてたくさん思い出せる。
よくそれに混じったっけ。
はちゃめちゃに、もしくはステップを踏んで。(母に教えられながらね)もっとも、そのステップだってはちゃめちゃだけれど。
「ハイ、わん つー」
楽しそうなこの掛け声をいくつかけられたろう。
どうしたって踏めないステップをあわあわしながら踏んでいる時によくかけられる。
余裕そうな声を少しだけ恨めしく思う。
「ぜんぜんダメだね」
ふふん
ひと段落したあとはよく聞くセリフだ。
毎回そのセリフも恨めしく思う。
あぁでも、恨めしいのに踏めないステップを練習しないのは…そうやって「踏めない」と笑い合うのが好きだからかもしれない