黒咲由衣

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1/12/2025, 2:06:30 PM

「神様、どうか、あの夢のつづきを、見せてください」
今日もまた、海に向かって祈る。

それは私が4歳の時だった。
初めて1人で電車に乗って、おばあちゃん家に行った。
そんな大層なものではない。県内だし。
大人にとってはそこまで遠くない距離。それでも、
幼い当時の私からしてみれば冒険に他ならなかった。

父も母も、私のことが心配だったと思う。
カバンと、地図と、お守りと、
何かあった時の小銭と、名前と住所を書いたメモと…
とにかく、色んなものを持たされた。

そのお陰で私は無事におばあちゃん家まで
辿り着くことが出来た。
そこで私は2泊3日だか3泊4日だかして、
帰りはおばあちゃんと一緒に帰る予定だった。

久しぶりに、おばあちゃんに会えたことは嬉しかった。
…でも、良い思い出は無い。

私が着いて次の日か、その次の日か…
正直、記憶が曖昧なのだが、
大型台風の進路が逸れ、私の家に直撃したのだ。
その際に起きた津波により、両親は家ごと流された。

あんなにいつもニコニコしていたおばあちゃんが
柄にもなく涙を流していた姿をよく覚えている。
私がその意味を理解するのは数日経ってからだった。


──あれから10年以上経った今。
私は、慣れない仕事に心身共に疲弊し、
家に帰っては、泥のように眠る日々を過ごしていた。

そんな日々のストレスからか、最近、同じ夢を見る。

気づいたら海の中にいて、目の前には両親がいて。
何も言わず、ゆっくりと海の底に沈んでいくのを見る。
私も両親を追って泳ごうとするが、うまく泳げなくて。
どんどん距離は離れて、いつしか見えなくなって、
私の叫びも、涙も、海の中に溶けて………

そんな夢。とても怖い夢。

最近毎日こんな夢を見る。
そして毎朝、目覚ましと大粒の涙に起こされる。

これは夢だ、疲れているだけなんだ、と言い聞かせる。
ただその傍ら、どうして今更?とも思っていた。


──数日後。

またこの夢だ。
夢だとわかっているのに、覚めることが出来ない。
ああ、冷たい。暗い。寂しい…。

お父さん。お母さん。
今日も海の底に沈んでいってしまうんでしょう。
もうわかってる。もういいよ。もうつかれたよ。
毎日毎日、こんな夢。
もう追いかける元気すら、なくなっちゃったよ…。


…えっ?
お父さん、何?
お母さん、何?
何て言っているの?
聞こえない。もっと近くで…
ねえ、行かないで。どうして…


いつもの目覚ましで目が覚めた。
だけど今日は涙に溺れていなかった。
両親の口が動いていた。これは初めてのことだ。
まるで何かを伝えたかったかのように。
あれはなんだろう?
もっと近づければ聞こえるのだろうか。
それとも、読唇術でも勉強してみようか。

どちらにせよ、またあの夢を見なければ。
何時しか私はそんな使命感に駆られていた。
怖かっただけのこの夢が頭から離れない。


しかしその日から掌を返すように、
あの夢は毎日見れなくなっていった。
1週間に1回。1ヶ月に1回。
頻度はどんどん落ちていったが、
対比するように夢の中の記憶は鮮明になっていった。

あと少し、もう少しで聴ける。あと1歩届かない。
だから今日もまた、両親を一夜にして奪った
あの忌々しい海にお祈りをするのだ。

「神様、どうか、あの夢のつづきを、見せてください」












嗚呼、我が娘よ。
お前も一緒だったら良かったのに。

1/11/2025, 4:52:28 PM

「あたたかいね」
彼は言った。

しんしんと降りしきる粉雪、
白く揺らいだ息に混じって
そう呟いた声は寒空へ溶けていった。

彼から貰った赤いマフラーをぐるぐる巻きにして、
キャメル色のダッフルコートに
底が抜けそうなほど深く手を突っ込んだ私は
それでも、時折鼻水をすすっていた。

「そんなに着込んでおいて、今更何言ってんのさ」
「それもそうか。僕、カイロ貼ってるし」

彼もまた、黒いダウンジャケットに
グレーのネックウォーマーをつけ、
完全防備な無骨達磨と化していた。

彼と付き合い初めて半年。
一緒に雪を見るのは、今日が初めてだった。
待ち望んでいた。ずっと。ずっと。

汗が滲み舌が渇く程のカンカン照りだったあの日のことは
今でも鮮明に思い出せる。
…思い出した方が良い。夏の思い出は。
あの驚きと、照れと、そして…溢れんばかりの嬉しさが
この凍てつく寒さを紛らわしてくれるから。

「イルミネーション、終わっちゃったね」
「えっ?」

初々しい思い出にふけっている最中、
いつの間にか私は吸い込まれそうな闇に包まれていた。
あれ?おかしいな。
いつもなら、もう少し深い時間までやっている筈。

今日は彼と一緒に甘いバレンタインを過ごし、
運が良ければ…体温を、交えられればと思っていたのに。

そんな淡い期待とは裏腹に、
光の楽園は突如終わりを告げ、静寂が走った。

不可思議だ。
何も見えない。何も聞こえない。
LEDだけじゃない、ありとあらゆる灯が姿を消した。
そして、今の今まで数多ものカップルで
胃もたれするほど甘ったるい人口密度してた空間から
忽然と人が消えた。

しばらくする間もなく、私は気づいた。
突き刺さるようなあの寒さを、もう感じないことに。
地に足ついている感覚すら曖昧なことに。


恐い。


彼は何処にいる?
こんなことなら、手を繋いでおくべきだった。
…恥ずかしくて、私からは誘えたことがないけれど。

ねえ、どこにいるの?
怖いよ。こっちに来て。

そう呼ぼうとするが、うまく声が出ない。
喉の奥に小石がひっかかったように苦しい。
力いっぱい叫ぼうとしても、
カヒュ、ヒュ、と拙い声が漏れるだけだった。

あたりを見渡す。
一面が真っ暗闇なので、何処が前なのかすらわからない。
闇雲に歩き始める。手を伸ばす。息が乱れる。
しかし、そこには何も無い。
涙が込み上げてくる。恐い。恐い。
恐怖に押しつぶされそうになった、その時───

「やっと見つけたっ」
突然、彼の声がした。
私が振り返った時にはもう、抱きしめられていた。

嗚呼、逢いたかった。ずっと。ずっと。
思わず涙を流す。
もう離れない。離さない。絶対に。
失ってわかった。私は、彼のすべてを愛していると。
彼の熱。彼の体温。彼の鼓動。
そのすべてが、胸の奥にすっと入り、混じりあっていく。

「さ、行こう」
彼に手を引かれ、光の射す方へ歩き始める。

心地良い。
なんだっけ。この感覚、何処かで…

…そうだ。
久しく浴びていなかった。お日様。

闇がだんだんと薄れ、あたたかな光が身を包む頃には
あんなに苦しかった胸の奥も、もうすっかり満ちていた。

「ねえ」
「ん?」
「どうして私を見つけられたの?」

証明してほしかった。

「君を、愛しているから」

その言葉が欲しかっただけなんだ。

私は彼の胸に飛び込み、そっと唇を重ねた。
これが私の決意。私の希望。私のすべて。

今度は私の番。
私たちを祝福するように、眩しく優しい光が染み入った。

「私も、愛してる」
「…ふふ」

「あたたかいね」

そんな、夢─────





───────
「………ッ」
スマホをスクロールする手が止まる。
ニュースのサムネイルを見て、急に背筋が凍る。
恐怖で震えて、崩れそうになる。

俺の地元近くに住む女が、彼氏と共に
無理心中を図ったという。
練炭による自殺で、発見された頃には
2人とも息が無かったと。

俺の元カノだ。
いつかはこうゆうことすると思っていた。
俺も、あの女に血や髪を食わされ、
手や足を縛られ、監禁され……
嗚呼、思い出したくもない。

幾度と警察のお世話になり、
接近禁止命令を出し、
携帯も変え、逃げるようにして
遠い遠いこの地まで越してきたのだ。

初めは可愛い子だと思っていたのに、
あんな化物だったなんて…

ニュース記事によると、男の方は手足を縛られ
口をガムテープで塞がれていたとか。

嗚呼。
彼は、逃げれなかったのか。