また会うための、愛言葉。
正月の朝、月が高くあがっている。
父の実家から我が家へ帰る朝だ。電車に乗るための小銭がポケットの中でちゃりちゃりとなる。
ああ、帰りたくないな。
帰ったらまた憂鬱な日常が、わたしを迎える。
そう思えば思うほど、冷たい風がこの非日常への未練を粘り強いものにさせる。
カラスの声が耳に届く。
わたしの日常からは遠く離れた場所の日常を、今この耳で聞いている。
「行かないで、いいよ。」
そんな言葉をかけられているような気がした。
思えば、わたしは歩き出していた。
家とは逆方向に。
わたしがまたここに来るのは、1年後だ。
始まりはいつもあの人だった…なんてことがもしあるなら、それがわたしの理想だ。
始まりはいつもわたし自身だった。何をするにも、何を考えるも自分自身から始まった。
わたしは幼い頃から幼いうちには考えないような事ばかり考えていたせいで、わたしの考えていたことを誰にも共有できなかった。わかって貰えなかった。
故にいつも頭の中では孤独だった。
最初から何も無いのに、喪失感があった。
付き合いの長い友達はいた。一緒にいて楽しい友達もいた。けれど、本当に心から話し合える友人はいなかった。
そして、心から話し合える友人がいたなら、それはわたしの命以上の存在だ。
わたしの1番に求めるものは、
"自分以上の大切な人"だ。
こんなことを考えるのも、わたしが始まりだ。
-鋭い眼差し-
純粋じゃなくなってしまったからだろうか、
死にたいと何度も思ったからだろうか。
幼い頃は暖かいと思っていた太陽の眼差しが
とても鋭くなったような気がする。
楽になるため幾度も自分を上書きした結果の今の自分がわたしは好きだ。
気楽に重くは考えず
これは本心だと言うのに。
ひとつ前のわたしが太陽を恨んだからだろうか。
今のわたしが月を愛したからだろうか。
太陽の眼差しがとても鋭い。
今のわたしは貴方も愛しています。
きっとそうです。
-子供のように-
とある夜であった。
網戸の外、澄み切った光を絞りだす月の下で、わたしはただぼやりとしていた。生きている意味とは何なのだろうかと。そう思うわたしに、涙も優しさも、悲しみもなかった。
ただ、わたしの生きる意味というものを、
子供のように探し回る姿が、そこにはあった。
なぜわたしはこうして生きているのだろうか。
生きる価値とはなんなのだろうか。
永遠に辿り着けない答えを探し求める。
まるで幼い子供のようだった。