『夜が明けた。』
日中暑いぐらいに太陽が照り始めた最近は、日の出が早い。
朝が来るたびに、生きているという実感が薄れていくような気がする。忘れてはいけない感覚を、逆撫でて思い出させるように掴みどころのない思考を追いかけたりしてみる。
小さい頃、まだ人が眠っている時間に目覚めると無性にワクワクした。そしてだんだんと、薄暗くて音のない世界にたった一人生きているような感覚を意識から離れた場所で覚えた。
夢から覚めて頭がまだぼんやりとしている間は、無意識に見ていた夢のことを考えている。ベッドから起き上がる頃にはそのほとんどを忘れて、現実を見ている。
雨降りの日なら、雨が降ってるなとしか考えない。
朝はそれぐらいがちょうどいい。
『ふとした瞬間』
ため息を吐くことが多くなった。
できないことがあるのは欠点ではなく特性であって武器になるけれども、できることをしないのはただの怠惰だ。
そうやって宙に浮いたように意識自体がはっきりしないまま過ごす毎日にもどかしさを感じるのは本当はおかしいこと。
その場その場の欲求に傾いて、できることをせずに時間だけを浪費していく。
早く抜け出したいと思っているなら、今からでも変えられることはあるはずなのに沈んでしまう。
弱い人間だ。
すべて、簡単に崩れていくことを知っているからこそ足を止めることが怖かった。休むことができなかった。
休まないまま進んでいくことで壊れるのは自分自身なのに。
惨めで、情けなくて、どうしようもない。
『どんなに離れていても』
頭上に輝く星たちは、途方もないほど遠く離れているけれど、その光は確かにこの地上に届く。
人の言う「幸せ」もこんなふうにはっきりと目に見えるものだったらいいのにと思う。そうしたらきっと、小さな幸せを取りこぼすことも、はたまた絶望の淵に落ちることもないはずだ。
人の言う「幸せ」がそんなふうにはっきりと目に見えるものでないのは、どうしようもない人間の傲慢さや頑固さ、またそこから生じる妬みや僻みをコントロールして謙虚になれと言われているようなものなのかもしれない。
遠いからこそ大きな存在のように感じることがある。それが近くなったとき、なにか違和感を感じるほど。
皮肉だけれども、きっとこれが人間らしいということなのだろうとも思う。
『巡り逢い』
毎日鏡越しに顔を合わせるのに、巡り逢うことはない。
もし巡り逢う世界があるなら、どんな顔してどんな話をするのだろうか。
鏡の中の自分を引っ張り出しても、私と同じ表情をして同じように動くのだとしたら、それはつまらないか。
三面鏡に自分を写してたくさんの私を呼び出す。
ただ、どの私とも巡り逢えないことだけが期待はずれと嘆いてみる。
『どこへ行こう』
型もしがらみも突き返して、自由になったと思った。
自由になれればそれでいいと思っていた。幸せと自由を一本の線で繋いだ幼い頃があったから。
今目の前にあるのは、自由という束縛。
自由はまさしく空虚であって、そこには途方もない寂しさが満ちている。
皮肉なことに、型におさめられることを求めている瞬間があることに気がついた。
伝う壁すらない暗闇をずっと彷徨っている。
どこまで行っても何もないこんな世界で、どこへ行こうと言うのだろう。