不完全な僕
ここに住みたい。ここから見た世界はどんなものだろう。もしここで産まれたなら。もしこんな体験をしていたら。ここに生きる人は何を考え、どう感じるのだろうか。言語には思考が関係するというが、方言もその対象なら、どんな思考をしているのだろう───
旅行をする度にこんなことを思う。そしてそれが叶わないことを瞬時に理解してしまう。
僕にとって人生は物語でありゲームでもある。その作品に触れたくなる。そして、それを支えた家、友人、様々な場面を知りたい。私自身が図書館のようになりたい。長い長い人々の記憶は、きっと1冊のノートにまとめることなんてできない。
どんなに素敵な物語なんだろう。どんなに楽しいゲームなのだろう。
私はどれだけの命があれば「人」を知れるだろう。どんなことをすれば「人」を体験できるだろう。どこまでも見透せる目があれば、どんな音も拾う耳があれば、何でも覚えられる脳があれば、それは叶うだろうか。
あぁまた新しい景色だ。あなたは誰?何が不満?好きなことは?楽しいことは?恋はしてる?赤色は何色?青は?叶えたいことは?
あなたはこの景色をどう見ているの?
雨に佇む
久しく聞かなかった雨音。改めて耳を澄ましてみると、夏を感じさせながらも、とても落ち着く音をしている。悲しさを天気で表した時によく使われる雨だけれども、それはこういう落ち着きというか、気分を鎮めるようなものがあると思う。そういえば、親友と雨の気持ちの向け方だけは違っていた。好きな映画は同じだった。あの映画の名台詞はなんだったか。あの時ハマったアニメは最高だった。2人で集まってずっとゲームをしていた。なくなってしまった公園で、初めて会った。そんな少年時代をふと思い出して、懐かしくなった。
彼も私と同じように雨が好きな男だった。「雨に濡れるのが好きだ」とよく言っていて、私には理解が難しかったことをよく覚えている。曰く、一度身体の大半が濡れてしまえばどれだけ濡れても同じだし、泥水を含んでいるからいくら泥だらけになっても同じだ。そうなればなんでもできる。どれだけ今何かに追い詰められていても全てを忘れて自由になれる。というのだ。私からしたら自暴自棄になっているとしか考えられないのだが。しかし実際のところ彼自体は非常に思慮深く、考えてから行動に移すことの方がどちらかといえば多かった。きっと自分にないものを補ってくれるものだと認識していたのだろう。彼は雨から、行動力や勇気をもらっていたに違いない。
そんなことを考えていても雨は一向に止まない。どうせなら、彼のいうことを試してみようか。今に固執し、停滞している私には新鮮な考え方であるし、何か掴めるものがあるかもしれない。
そんなことを考えて、私は屋根の下から出た。彼の言っていることはやはりよくわからなかった。雨に勇気をもらうだなんて想像もできない。ただただ私は濡れただけであった。気づかない間に妙な期待を持っていたせいで、少しがっかりしてしまった。見上げても何も起こらない。彼の得た行動力は、勇気はどこにあるのだろうか。まだ私は彼に手が届かないのだろうか。私はこれまでもこれからも、ずっと立ち止まったままなのだろうか。
この失望は、雨に向けたものではなかったと、しばらくして気づいた。変わる気のない私への諦め、失望、それに気づこうとしない怠惰への呆れ、様々なものが混ざっていた。
とにかく動かなければ何も始まらない。変わるために、雨に入ったのだ。きっとまだ歩ける。前へ進み続けられる。
ああ、思い出した。あのセリフは──
Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?
私の日記帳
私が忘れてしまえばなかったことになる。
これは誰にも見せなかった。
見せることは出来なかった。
弱みを見せれば淘汰された。
それが私の人生だった。
──いや、世の常であった。
トラウマは消えない。
傷は塞がらないのだ。
隠さなければ死んでしまうのだ。
やるせない気持ち
さみしい。
趣味も、ぬいぐるみも、埋められなかった。
寂しさに苛まれている。
寂しさに打ち砕かれている。
本当に寂しい時、会いたい人でしか、
その穴を埋められないと知ってしまった。
こうして感情を文字にしても埋めることは出来ない。
いつまでも胸が痛い。
いつまでも胸が苦しい。
それでも助けを求められない。
なんて愚かなのだろうか。
耐え続けるだけなのだ。これまでもこれからも。
空模様
──まぁいいか、別にもう
馬鹿になろう
手を鳴らして
絡まる哀愁を飛ばして
思い出が私の周りできらめく
自然と笑みがこぼれる
こんな雨も悪くない