『生』の終点が『死』であるなら、『死』から折り返す電車は一体どこに行くのだろう?
『生』を終えた魂たちの行き着く先が、やさしい場所であることを願ってやまない。
「上手くいかなくたっていい」
そんな言葉を掛けられるたび、
「お前には何も期待していない」
「最初から上手くいくとは思っていない」
「成功するな」
そういった思いがあるのではないか? と勘繰ってしまう。
優しさに見せかけた、黒い思惑を感じ取ってしまうのは、俺の気のせいなんかじゃないはずだ。
あたしが死んだとき、死神は言ったんだ。
「あの日、お前が死ぬことは最初から決まっていた」
って。あたしはまあ概ね満足行く生を送れたから「そうなんだー」くらいにしか思わなかった。けど、アイツはどうだったのかな?
あたしみたいなのと一緒になって、それどころか子どもを授けてくれたアイツ。
自分のことは二の次三の次で、あたしと子どものためだけに生きたアイツ。
あたし達のために身を粉にして働いた挙句、不治の病に蝕まれたアイツ。
それでも、子どもの成人だけは何とか見届けたいって、必死で生き、病と戦い続けたアイツ。
……そして、その願いが叶うことなく旅立ったアイツ。
アイツの死に物狂いの闘病の結末も、最初から決まってたのかな? そして、そんな残酷な真実をアイツに伝えたのかな?
あたしは死神に尋ねた。
「——————」
死神はまだ何か言ってる途中だったけど、あたしは死神の頬を引っ叩いた。
これで地獄に落ちたって、あたしは構わない。
太陽って、一体過去に何やらかしたんだろうな?
あいつずっと炎上し続けてるじゃねえか
子どもの頃一度だけ、どこからかも分からない鐘の音が、夕暮れ時の自宅付近まで届いたことがあって。
一体どこから? とか、なんで? みたいな素直にワクワクするような気持ちや疑問を抱くのと同時に、
これは本当に聞こえていいものなのだろうか?
みたいな、得体の知れない恐怖感も心の片隅に存在していて。もし、聞こえていたことがバレたら物の怪に拐われたり、それどころか下手したら殺されたりするのでは? なんて、酷い目に遭わされる想像が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えしてさ。そのせいで「鐘の音が聞こえる」なんて、当時は誰にも言えなかったなぁ……。