「どんなにつまらないことでも『さしすせそ』を基本としたリアクションを心がけましょう。『さしすせそ』とは……
さ……流石です!
し……知りませんでした!
す……素敵です!
せ……センスいいですね!
そ……そうなんですね!
です。……が、これらはあくまで基本。これらだけを繰り返していては、いずれお客様はあなたに飽きてしまうことでしょう。そうならないよう、あなたらしい特色を出していきましょうね」
——とあるキャバ嬢の教え
嗚呼、まずいなぁ……。この状況は極めてまずい。
なんとか理由を考えないと。
事の起こりは30分ほど前。生まれて初めて出来た彼女が俺の家に遊びに来た時に遡る。
大学に入るまで女性とは縁がなかった俺は部屋も自身の身体もいつもより入念に綺麗にし、歯もしっかり磨き、ゴムも——って、それは今はどうでもいいや。
まあとにかく万全の準備を済ませて彼女を迎え入れようとしていたのだが……まさかこんなことになろうとは。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。本当に、彼女が来た……!
逸る気持ちを抑えて俺は玄関の鍵を、扉を開け彼女を出迎えた。
「お邪魔しまーす。いやー、今日も暑いねー」
彼女は呑気にそう言いつつ靴を脱ぎ、部屋へと進み始めた。
それが悲劇のきっかけになるとも知らずに……。
俺の家、というか下宿先はごくごく普通のワンルームだから迷うことはなく、彼女は俺の案内なしに部屋へと辿り着ける。
その、はずだった。事実、彼女はこんな事になるほんの少し前まで、俺の前を歩いていた。
だが、それがいけなかった。
そう、今日は暑かった。当然、彼女は薄着だった。
そんな彼女を後ろから見れば、見えてしまう……。
彼女の——うなじが。
これを読んでいる若き男性諸君は「うなじ萌えとかおっさんかよ!」などと思っているかもしれない。
だが、女性の……それも好きな女性のうなじは魔性だ。そこに汗、という加点要素が加わればもうたまらない!
事実、
俺は、
そんな彼女の白いうなじに、
吸い込まれるように……
手刀をキメた——ッ!
何の気の迷いだろうか? 自分でも分からないのだが、彼女のうなじを見ていたら、つい手刀を打ってみたくなったのだ。
ちょっとした冗談、で済むつもりだったのだが……。
次の瞬間、
「うっ」
と、短い呻き声を上げ、倒れ込む彼女。
えええぇぇっ!
いや嘘でしょ!? そんな強くやってないよ? 冗談でしょ!?
予想外の事態に狼狽えた俺は、なんとか彼女が目を覚ますことを願って声をかけたり、身体を揺さぶったりしてみたが全然駄目。起きない。
くすぐり……は、恥ずかしいし、何よりそれで起きたら気まずいのでナシで。
とりあえず、こんな場所に寝かせておくのはよろしくないので、ベッドまで運ぶことに。まさか、こんな形で初めてのお姫様抱っこを経験することになろうとは。
彼女をどうにかベッドに寝かせた俺はまず一息つき、次いで今の状況を考えた。
彼女目線で考えれば、彼氏の家に来た途端に気を失い、目覚めた時にはベッドの上というわけになるのだが……もしかしなくてもこれ、かなりまずいのでは? 冷静になればなるほど、俺の置かれている状況のまずさが鮮明になる。
嗚呼、まずいなぁ……。この状況は極めてまずい。
なんとか理由を考えないと。
彼女の目が覚めるまでに——。
「先生、最後までありがとうございました」
そう言って入院患者に付き添っていた女性は深々と頭を下げた。
「そいつらはわしらの金で飯食ってるんだ。そんな奴らに頭を下げる必要などないぞ!」
患者に強く叱られても女性は態度を変えなかった。最後まで、我々医療従事者に感謝を示し続けていた。患者の傲岸不遜な態度にナース達は
「そんなんだからあの人以外誰も見舞いに来ないんじゃないの?」
なんて、陰口を叩いていたりもしたが、それももう……。
連日、テレビを賑わせている世界的なスポーツイベントの裏で、当たり前のように起きている悲劇。だが、そんな悲劇が大きく取り上げられることはないだろう。残念ながらそれが現実だ。
「グフフフフ……やはり世界的なスポーツイベントはいい隠れ蓑になるわい」
「センセイ、退院おめでとうございます」
高級車の運転席に座る女性は、後部座席にふてぶてしく座る元入院患者をルームミラー越しに一瞥した。
「君もご苦労だった。見舞いと称してプライバシーの漏洩がないか、度々探りを入れていたんだろう?」
「はい。あの病院のプライバシー対策は万全でした。最後まで一般患者はおろか、マスコミすらセンセイの入院先を特定するには至りませんでした」
「本当にできた秘書だよ、君は」
センセイは下卑た笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「いやはや。君にも医者の先生にも感謝してもしきれんわい」
「おかげでわしの政治家生命が延命できたのだから」
明日、もし晴れたら
人間というのは我儘な生き物だから、
梅雨時ならひとときの晴れ間を喜ぶだろうし、
夏場なら暑いから多少でいいから曇ってくれんか? と思うことだろう
だが、俺はそれでいいと思う
それもまた人間ゆえの感性だろうか