一筋の光
何かを始めるとき。
何でもいいのだけれど、例えば仕事。
希望の職種を決めて、可能な範囲で勤務地を選び、出来たら給与面も考慮に入れて、さぁ就職活動!と思って探し始めても、何だかしっくりこないことがある。
多少勤務地や給与面を妥協してみたり、しまいには職種まで鞍替えしてみても、一向にそれらしきものに出会えないことがある。
何だろう?
これは何かの啓示か?
今は働くなということなのか?
なんて、そんなときは変なマインドに突入してしまいそうになる。
だけど私は知っている。
こんなときは焦らず待てばいいということを。
裏でどんなことが起きているのかはわからないけれど、人生は然るべきときに、然るべきところに導かれるようになっているのだから。
一筋の光が降り注ぐそのときを、ただじっくりと待っていればいいのだ。
ということで、私は今、絶賛職探し中です。
お題
一筋の光
哀愁を誘う
哀愁を誘うためには、多少くたびれた感じが必要だ。
かと言って、あまりくたびれ過ぎもよくない。
性別で言えば、やはり男性ということになるだろう。
年の頃で言ったら、そうだなぁ四十代半ばから五十手前あたりがいい頃か。
少し髪に白いものが混じり始めてはいるが、毛量はまだしっかりと残っている。
肌にはハリとツヤが必要不可欠だ。
髭は似合うなら生えていても良しとしよう。
わざとらしい香水は嫌だけど、加齢臭はもっと嫌だ。
体型はムキムキに鍛えているというよりは、多少崩れてきている方がよりリアルかもしれないな。
その上で、自分に似合うものを嫌味なく身に付けていて欲しい。
個人的には、黒のスラックスに白のスニーカー、上はなんてことのない白のロンTの上に紺のジャケットをさらっと羽織っているような人。
特別おしゃれじゃなくていい。
その程度で充分だ。
しかし、バックグラウンドを紐解いてみると、実は年下の元CA妻に双子の可愛らしい女の子がいたりして。
仕事は実家の事業をちゃっかり継いでいる次男、みたいな立ち位置の人。
結局、哀愁を誘うような男というのは、無理せず自然体ではあるが、目の前に差し出された運命に逆らうことなく、かと言って日々の生活もないがしろにせず、自己鍛錬に励んだ結果として、人から愛されるような素養を身に付けたたしなみ深い男なのではないだろうか。
うーん。なかなかいないですよね。
そんないい男。
そんないい男がいるなら、是非会ってみたいものです。
お題
哀愁を誘う
鏡の中の自分
私は鏡の中の女に訊ねてみる。
お前の歩いてきた道はそれで良かったのかと。
女は答えない。
ただただこちらを真っ直ぐな目で見つめ返してくる。
その目に諦めの色はない。
まだ死んではいないのだ。
私はホッとした。
まだこの先人生は続いていくのだと。
お題
鏡の中の自分
眠りにつく前に
おいしいものをお腹いっぱい食べたか
行きたかった場所に思う存分行ったか
欲しいものを欲しいだけ手に入れたか
やりたかったことを最後までやり遂げたか
心から愛する人に出会えたか
そして、その人にきちんと愛を伝えたか
本当の眠りにつく前に、私にはやらなくてはならないことが山積みだ
お題
眠りにつく前に
永遠に
宇宙の寿命はあと千四百億年。
太陽(地球)の寿命はあと五十億年。
今日生まれた赤ちゃんの寿命はあと九十二年。
理論上、この先九十三年後には、今地球上にいる人間は誰一人残っていないことになる。
身体は消えても魂は永遠に生き続けるなんて言う人がたまにいるけれど、そんなの嘘っぱちだ
これまでに地球に生まれた人の総数は千八十億人だから、もしその人たちの魂が今も生き続けていたとしたら、そこいら中を訳の分からない感情が渦巻いていることになるではないか。
そんなのたまったもんじゃない。
この世は今生きている人たちだけのものだ。
お役目を終えた人は、とっとと順番にあの世に旅立ってもらわねば困る。
人はどんなに頑張ったところで、たかだか数十年しか生きられないのだな。
と、思ったら何だか切なくなってきた。
ならば、みんなそれぞれ好きに生きればいいさ。
人にどう思われようが、何を言われようがそんなの知ったこっちゃない。
そんなことに心を砕いていられるほど、人間の一生は長くないのだ。
永遠に続くものなどどうやら何一つないらしいではないか。
それならば、この一瞬一瞬を大いに楽しく生きようじゃないか。
お題
永遠に