『愛を注いで』
夏のある日。
プランターで家庭菜園をしてみようと思い立って、スマホを開いて調べる。
調べた上で、プランター、土、肥料、そしてミニトマトの苗を買ってきた。
土いじりなどして育ってこなかったため、何もかもが新鮮。
とにかく育てる中で気をつけないといけないのは、水をあげすぎないこと、肥料をあげすぎないこと、脇芽をかくこと。
注意事項に気をつけて、土が乾いてから水をたっぷりあげる、肥料は植付の時と1ヶ月に1回で十分、五日に一回程度でも脇芽をかく作業をすることを意識して行っていた。
意外にも、野菜を育てることは大変手間がかかることなんだと、ミニトマトを育て始めて気がついた。
そんなこんなで手間暇をかけているうちに、段々と愛着が湧いてくる。
毎日毎日、少しずつ成長するミニトマトを見るのがいつしか楽しみになっていた。
そして一ヶ月と少し経った頃。
ついに実がなった。
見つけた時に、あまりのうれしさにスマホでパシャパシャと写真を撮ってしまったくらいにはテンションが上がっていた。
自分なりに愛を注いで、それを受けてたくさんの実をつけたミニトマト。
その後、収穫して美味しく食べた。
これを機に、家庭菜園で作る野菜をを少しずつ増やして育てていくことになる。
『心と心』
『心と心が通じ合う』という文句はよく聞く言葉だ。
昨今のこのご時世において、この『心と心が通じ合う』という現象そのものがあまりに希薄になっていないだろうか。
テレビをつけてニュースを眺めれば、やれ誹謗中傷だ、やれいじめだ、やれモラハラだとなんとも騒がしいことこの上ない。
もっとこう、動物園のこの動物の赤ちゃんが無事に産まれましたとか、今の時期はこんな場所が綺麗ですよ、などの心がほっこりとするエピソードが聞きたいものである。
ネット上でも、テレビの中でも、リアルでも、あまりにも……あまりにも周りに暗い話題が多すぎる。
これでは気が滅入るに決まっている。
少なくとも、このご時世で流れていく暗い話題が好きではないと思ったそこのあなたは、形は違えど同じように考える私と『心と心が通じ合う』仲間……なのかもしれない。
『何でもないフリ』
それはたまたま出かけた先での出来事だった。
久しぶりに一人で外出していた私は、その外出先で恋人の彼を見かけた。
声をかけようと近寄ろうとした矢先、ふと視界に誰かが入る。そんな彼に近寄るのは一人の女。
私よりよっぽど可愛くて、守ってあげたくなるような愛らしさを称えた女が、彼に近寄って馴れ馴れしく話をしている。
そう、私の恋人が私とではなく、他の女とそれはそれは仲良く手を繋いで歩いている所を目撃したのだ。
それを見た瞬間、すぐさま踵を返して駆け出した。
──あんな笑顔、私には見せたことがないじゃない!!
この寒空の下、本来は防寒していなければいけない時期にも関わらず上着を脱いで薄着でうろついた。
なぜか火照る身体の熱を冷ましたくて。
気づきたくなかった。
──こんな醜い感情などに。
気づきたくなかった。
──彼が私を裏切っていたことに。
気づきたくなかった。
──裏切られたのに、それでも彼を求めてしまう己の心に。
無常にも明日はやってきて、明日には彼は私の家へくる。
明日、彼は何でもないフリをして、私の前で甘言を紡ぐのだろう。
真実を知った私には、知らん振りなど到底できやしない。
決意が鈍らない今日のうちに別れを告げようと思いたった。
スマホを握る手が震える。
まだ迷いがあるから震えるのか。
……彼は私を捨てたのだ。だから彼のために身を引くだけだ。
そう自分に言い聞かせ、今度はしっかりとスマホを握り、メッセージを紡いだ。
「新しい彼女とお幸せに。さようなら」
『仲間』
仲間の定義って何?
何をもって仲間と言えるのか?
誰かに疑問をぶつけても、見事に正論で返されて、余計に何がなんだか分からなくなった。
──って難しく考えてる人もいるんだろうなと思う。
普通に、同じ好きを共有できる者達って認識じゃだめなのかな。
なんでもかんでも細分化すればいいってものじゃないよ。
もっとシンプルに、わかりやすくでいいんだよ。
難しく考えるから頭がこんがらがるんだ、きっと。