「僕と一緒に死んでくれない?」
「死んだらなんかいいことあんの?」
「この世界におさらば出来る」
「それ、全然いいことじゃないんだけど」
「あいつらの顔見なくて済む」
「その為に他のこの世のいいこと全部捨てるの、割に合わなくね? 推しを見れなくなんじゃん」
「じゃあ今のこの苦しみはどうしたらいいの?」
「誘うならこう誘ってよ」
〝僕と一緒に殺してくれない?〟
「いいよ!やるやる!」
END
「僕と一緒に」
ネットでデータを共有する機能を「クラウド」と名付けた人はどんな人なんだろう。
インターネットを「ワールドワイドウェブ」と名付けた人も凄いなと思う。
最先端の技術が雲とか蜘蛛の巣とか、自然現象になぞらえているセンスが凄いと思う。
自分が関わっている世界だけでなく、あらゆる世界に目を向けていなければ、こういうネーミングは思い付かないんじゃないだろうか。
なかなか固定観念、自分の価値観から視点を変えることが出来ない私は、そんな突き抜けた人達を少し羨ましく思うことしか出来なくて、モヤモヤしてしまうのだった。
END
「cloudy」
虹は昔、生き物だった。
それを橋にしたのは誰だろう?
神秘を秘めた龍だったものが、いつの間にか無機物に変わっている。そして科学的に説明出来る気象現象になってしまった。
今はもう虹の果てに行く事も出来ないし、根元にお宝も埋まっていない。龍でも無ければ蛇でも虫でもない。雌雄も分かれていないしどれだけ歩いても届くことも無ければ触れることも出来ない。
何だか少し寂しくて、私は虹の橋を渡る愛犬の姿を思う。有り得ないのは分かってるけど、思うことは自由なのだから。
END
「虹の架け橋🌈」
「既読スルー」という言葉がある。
自分が送ったメッセージに既読がつかないと不安になったり、縁を切りたい人を敢えてスルーしたりする現象。この言葉がニュースなどで取り上げられると、SNSに依存している現代人を批判的な目で見る空気が多かった気がする。
でも、と思う。
家族や友達や会社の同僚といった、普段当たり前に返信をくれる人がいつまでも返信してくれなかったら、不安になるのは当然の心理なのではないだろうか?
ツールが手紙や電話から変わっただけで、人の心の動きなんてそうそう変わらないと思う。
だから。
「なんかあった·····?」
何度も同じメッセージを送って、「大丈夫?」という絵文字スタンプを送る。
そして·····
END
「既読がつかないメッセージ」
紅葉の赤。
栗と芋の黄。
高くなった空の青。
秋の色って分かるカラーリング。
春の色、夏の色、冬の色、なんとなくそういうのがあるのは、人間の共通の感覚なんだろうか。
END
「秋色」