空はこんなにも果てしないのに、人はなぜ境界を作りたがるのだろう。
空も海も、大地にだって生まれた時には線なんか書かれてなかったのに、いつの間にか縦横無尽に線が引かれている。
こちらとあちらを隔てる線は、大地だけでなく海にも空にも、容赦なく伸びていく。
書けない筈の線を引いて、あちらとこちらを分断して、細かく細かく切り刻んで、切り分けられた世界はもう元の姿には戻れない。
澄み切った空はこんなにも果てしないのに、目に見えない線が張り巡らされている。
やがてその線は宇宙へも向かうのだろう。
いつか月でも奪い合いを始めるのだろうか。
END
「空はこんなにも」
お花屋さん、パン屋さん、お菓子屋さん、ケーキ屋さん。洋服屋さんに自転車屋さん。おもちゃ屋さんに車屋さん。近くにあった本屋さん。
「〇〇屋さん」という名前のつく仕事は何故かどれも素敵に見えた。
今はもうそれらの〝お店屋さん〟はショッピングモールに全部入ってしまって、個人経営の店舗に入るのは逆に勇気がいるほどになってしまった。
〇〇屋さん、という名前では呼ばなくなって、フラワーショップ、ブーランジェリー、パティスリー、なんて名前で呼んでいる。
大人になるって、きっとこういう事なんだろうな。
END
「子供の頃の夢」
そうやって引き止められるだけの心を相手に向けていたか。
相手が自分の元を去るにはそれだけの理由があるのではないか。
「行っちゃやだ」
「そばにいて」
そうやって泣き喚いて、それで足を止めてくれるのは相手の優しさだ。
その優しさに報いるだけの何かを、相手に向けられているだろうか。
END
「どこにも行かないで」
待って、待って。
ずっと君を追いかけていた。
君は覚えていないかもしれないけれど、僕はずっと君を見てて。
ねえ待って、僕の話を聞いて。
夜目にも分かる君のその、背中。
僕がどんなに惹かれたか分かる?
颯爽と歩く君のその背中。
ずっと見つめてたんだ。
理想だった。
君のその背中に、広くて大きなその背中に。
×××を突き立てたら――
「ああ、ほら」
なんてキレイな――
赤。
END
「君の背中を追って」
好きも嫌いもあるにはあるけど、そこまで激しい思いは無い。
人に対しても、物に対しても、好きだな、嫌いだなと思うには思うけど、感情の波が動くというほどではない。
グルメ番組で美味しいものを食べて感動してる人や、映画のCMで映画館から出た人が泣きながら「良かったです!」って言ってる人を見ると、凄いなって思う。勿論テレビに出てる人はそれが仕事だから分かりやすく表現しているんだろうけど、日常でもそういった自分の感情を大きく表現出来る人はいて、ちょっと圧倒される。
好きも嫌いもあるにはある。
けれど自分の好きを誰かに主張する必要性を感じないし、嫌いなものからはただ距離を置くか、それが出来ないなら我慢する。それだけ。
好き、嫌い。
私の中でそこまで重要な感情では無いのかもしれない。
END
「好き、嫌い」