可愛いらしさを感じる造形があるらしい。
赤ちゃんとか子猫とかの、丸い体とか大きな目とか、そういうのだそうだ。
でも、そうじゃないものも可愛いと感じる感性もある。多分他人が見たら可愛いとは思えないものも、ある人にとってはめちゃくちゃ可愛いものとして見えることもあるんだろう。
可愛いとは何か、なんて定義すること自体が意味の無いことなのかもしれない。
それはそれとして、「可愛い!」と「cute!」だと対象の印象がだいぶ変わる気がする。
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「cute!」
「興行収入〇億円突破」
「累計発行部数〇百万部突破」
「〇週連続ランクイン」
「〇万回再生」
そんな記録が無くたって好きなものは好きなんだけどな。作る側がこれらの記録を気にするのは当然だけどね。記録より記憶、とはよく言ったもの。
END
「記録」
コウモリの丸焼き、シュールストレミング、カエルの唐揚げ、トナカイの血、口噛み酒·····。
世界一辛い唐辛子、世界一甘いお菓子、世界一苦いお茶·····。どれでも好きなものを食べられるよ、と言われたら、私はどれを食べるだろう?
どれも多分、食べずに死ぬことになりそうなものばかりだ。
食べた事のないものを食べるのは、知らない場所に出かける冒険に少し似ている。
END
「さぁ冒険だ」
花を貰ったことがない。
卒業式とか、退職とか、何度か花を贈られるタイミングはあったと思う。けれどいまだに人生で花を贈られた経験が無い。
ただの一輪も。
薔薇、向日葵、カーネーション、スイートピー、チューリップ、百合·····花を見るのは好きだ。
けれど自分で買ったことはあるけれど誰かから贈られたことはない。
だから花を貰った時のリアクションというのも、自分の感覚ではなく他人のものを見て知ったものだ。
そういう人もいる。
これはただ、それだけの話。
END
「一輪の花」
「十分に発達した科学技術は魔法と区別がつかない」
とある本に書いてあった言葉だ。
もし私が生きているこの世界の常識がすべて嘘で、真実が何もかも隠されたままの世界で生きていたのだと知ってしまったら、私は何を信じて生きればいいのだろう?
電話が通じるのは電波が飛んでるからではなく、私の声を小袋に詰めた妖精が猛スピードで相手の元に飛んでいってるから、だとしたら?
病気が苦しいのは小さな悪魔が体の中で暴れているから、だとしたら?
「·····あれ?」
そこまで考えて、立ち止まった。
私の世界、結局あまり変わってない。
電話が通じる理由も、病気が苦しい理由も今の常識とあまり変わっていないじゃないか。
理屈はどうあれ、その科学か魔法か判然としない私には未知の力で、私の世界は回っている。どちらにしても電話は相手に声が届けばいいし、病気は苦痛が無くなればいい。
魔法も科学も、結局は〝使う者次第〟ってことなんだ。
END
「魔法」