男性歌手の歌しか浮かばなかった(笑)。
「瞳をとじて」
ギフトには二つの意味があるという。
一つは贈り物。
一つは、毒。
たとえ望んで与えられたものだとしても、それが自分にとって毒になるか薬になるかは分からない。
幸福をもたらすものを望むか、毒になり得るものを望んで自らを戒めるか、それともそのどちらになるとも知らぬままそれを望むか。
〝祝福をあたえよう〟
その言葉の真の意味を、よくよく考えければならない。
その贈り物を与えられた時、何がもたらされるのか。
薬になるのか毒になるのか。
枷になるのか剣になるのか。
よくよく考えて答えなければならない。
そうして私が出した答えは·····
END
「あなたへの贈り物」
とある樹海では磁石がきかなくなるらしい。
そう本に書いてあったけど、実際に行ったわけではないから分からない。
別の本には磁石がきかないというのは都市伝説だ、とも書いてあった。
どちらが正しいかは分からない。
もし私がこれから樹海に行くとしたら、果たしてどちらを信じるだろう?
指針となる何かは私の中にあるだろうか?
方向を定め、道を選び、進む為のみちしるべ。
誰かの言葉、験担ぎ、蓄えた知識。
私の羅針盤はなんだろう。
そしてその羅針盤は、どれだけ信用出来るのだろう。
積み重ねた何もかもが、これからの糧にもなる。
他者を、自分を、信じるに足るだけのものを積み上げられているか。
こんな時、人生を荒波に例える妙を思い知る。
END
「羅針盤」
選び取った道を後悔しているわけではない。
共に歩くと誓った相手の言葉を信じていないわけでもない。
ただ、ふとした瞬間に振り返ると。
幾度も幾度も繰り返してきた、血に塗れた過去がぽっかりと口を開けて待ち構えている。
私の罪業を知っている過去達は、ぽっかり開いた奈落の底から赤く染まった両手を伸ばして、私の足に、腕に絡みつく。
「幸せになれるとでも――?」
「私達を振り切って生きられるとでも――?」
その声に私は応える術を持たず、ただ立ち尽くすことしか出来ない。
歩き始めた足は結局こうして、枷をつけられたかのように引きずることしか出来なくなるのだ。
「××××××」
名を呼ばれた。
差し伸べられた手。向けられた視線。
私のすぐ後ろで口を開けていた過去は、その声と視線の力強さに瞬く間に消えてしまう。
「行こう」
たった一言。
この短い言葉で私は再び歩き出そうと思い直す。
幸せにはなれないだろう。
過去を振り切ることなど出来ないだろう。
それはきっと、相手も同じで。
けれど、だからこそ。
共に歩く意味があるのだと、差し伸べられた手を取りながら考える。
私はきっと、これからも。
明日に向かって歩く、でも。
何度も歩みを止めるだろう。
追いついて来た過去に捉えられ、身動き出来なくなるだろう。
それでも共に歩くと誓ったものがいる限り。
この選択は、きっと間違っていない。
END
「明日に向かって歩く、でも」
貴方はかけがえのないただひとりの貴方だから。
世界にただひとり、誰も代わりになんてなれない貴方だから。
この言葉はある意味正しくて、ある意味間違っている。この言葉が正しいのなら、なぜ世界中であんなに簡単に生命が失われるのだろう。かけがえのない筈の生命がこんなに簡単に失われるなんて、それが世界の正しい在り方なら、言葉の方が間違っている事になる。
ただひとりの君へ。なんて。
夢のような絵空事と捉えるか、手を伸ばせば叶う現実と捉えるか。
それを現実にしたくてきっとみんな、足掻いてる。
END
「ただひとりの君へ」