赤紫のあじさいが一面に咲いている。
「綺麗だね」
その声に気を良くしたのか、彼は持っていた懐中電灯をゆっくり動かして、咲き誇るあじさい一つ一つを照らし始めた。
「少しずつ増やしていったからね。そう言われると嬉しいよ」
赤紫がほとんどだったが、よく見れば青や白、紫など様々な色がある。彼が懐中電灯を動かすたび、庭に植えられたあじさいとそこに降る細かい雨が幻想的に照らされる。
「あじさいの色は土の成分で変わるんだっけ?」
「そうだね。でも最近は土の成分の影響を受けない品種も出来たし、逆に色を変える為に土に入れる栄養剤も出来たりで、ある程度コントロール出来るようになったよ」
彼はあじさいについてやたら詳しい。
「じゃあ、この庭のあじさいの色は貴方がコントロールしてるの?」
「さぁ、どうかな?」
赤くなるのは土の成分がアルカリ性だからだという。私はと言えば、花はあまり詳しくない。
「桜の下には死体が埋まっている、という言葉があるだろう?」
西行だったか。
「私はね、あれは桜ではなくあじさいにこそふさわしい言葉だと思うんだよ」
赤紫の小さな花が宵闇に浮かんでいる。懐中電灯に照らされているあじさいは、雨のせいで輪郭がぼやけて、まるで手毬のようだ。
あじさいの花が赤いのは、土の成分がアルカリ性だからだ。
「桜の赤と、あじさいの赤。どちらが血の色に近いか、一目瞭然だろう?」
開け放したガラス窓に、彼の姿が映っている。懐中電灯はどうやら捨ててしまったらしい。
振り向いたその瞬間、彼が大きなナイフを振り上げているのが見えた。
――あぁ、そう言えば。
人間の血液は、弱アルカリ性だった。
END
「あじさい」
「占い、好き?」
「時と場合による」
「なにそれ」
「TVとかでやってる占いはいい事言ってる時だけ信じる」
「分かる」
「自分の星座が最下位とかだったら見なかった事にする」
「だよね。まぁ何占いでもいいんだけどさ、私、アレだけは納得出来ないんだよね」
「なに?」
「花占い。花びらちぎって好き、嫌い、ってやるやつ」
「ああ」
「あれでいい結果になったって、絶対最後はバッドエンドだよ」
「何でさ」
「だって、花ちぎってんだよ?花びら一枚一枚引き抜いて丸裸にして、あなたの恋は叶うでしょうって、そんなワケないじゃん」
「花からすれば虐殺だもんな」
「花からは恨まれてると思うよ」
「そりゃそうだ」
「で、今日はどこ食べに行く?」
「パスタかな」
「ピザにしない?」
「なんで」
「パスタは今日アンラッキーメニューなんだよね」
「結局占いに振り回されてんのな」
「うるさーい」
END
「好き嫌い」
街と町。
〝街〟の方が都会的なイメージがする。
そしてそれは正しいらしい。
賑やかで、高層ビルが立ち並んで、人や車が行き交う。それが〝街〟。
〝町〟はそれよりちょっと田舎、という感じ。
田畑もあって、商店街も少し古い感じ。
漢字が違うと受ける感じが違う。
まちとまち。
かんじとかんじ。
同じ音なのに字が違うとこんなに色々違って見える。
不思議。
END
「街」
やりたいこととやれることの間にだいぶ隔たりがある。昔はちょっと我慢してお金を貯めれば何とか出来たこともあった。
でも今は、「何かやりたい!」と思ってもそこで「待てよ」と止まってしまう。
お金の事、距離の事、手続きの煩雑化·····。
やりたいことがあるなら我慢しないでやった方がいい。それはよく言われることだし、やれるならやりたいことは山ほどあるんだけれど、最近は〝勢い〟というものが無くなってきた。
でも、このまま悶々として死ぬのは嫌だから今度『やりたいことリスト』を作ろう。
END
「やりたいこと」
うとうとと微睡んでいる時の、ふわふわした感覚。
頬がぽかぽかと暖かくなって、閉じた瞼がじんわりと熱くなる。
それでもまだ布団の中でもぞもぞしていると、被っていた布団ごと抱き締められた。
「おはようございます」
柔らかい声が鼓膜をくすぐる。
小鳥の囀りよりも心地よい彼の声。
「朝ですよ」
――知ってる。
それでもまだ布団を被ったままでいると、流石に暑くなってくる。
布団や、太陽の光だけが理由じゃない。
「さあ起きて。朝食を食べに行きましょう」
彼の体温が高いからだ。
「今日のメニューは?」
布団をかぶったまま聞くと、ぐい、とその布団ごと起こされた。
「トーストとスクランブルエッグ、マフィンとポテサラ、どっちにします?」
「どっちも食べたいから交換しよう」
「いいですよ。さ、ちゃんと起きて」
立ち上がった彼が布団を剥ぎ取り、カーテンを開く。
途端に眩しい光が部屋を照らし、私は開きかけていた目をまた閉じてしまう。
「今日もいい天気ですよ」
再び開けた目に、笑う彼の金髪が朝日に照らされているのが見える。
相変わらず朝は苦手だ。
けれど、彼に起こされるのは大好きだ。
END
「朝日の温もり」