平飾りだったと思う。
お内裏様とお雛様がいて、台があって、桃と橘があって、あとは牛車と、なんて言うんだっけ、お膳みたいなの。それがあった。
綺麗なお顔してたって記憶はある。
保育園、小学校の頃はきちんと全部飾ってたと思う。
それが成長するに従ってだんだん手抜きになって、お内裏様とお雛様だけ並べて洋服ダンスの上に置いていたのが、最後には箱から出すことすらしなくなった。
あれから何年経ったのか。
箱はまだ押入れの奥にあると思う。
え? うん、ちょっと·····出すのは怖いかな。
END
「ひなまつり」
「パンドラの匣の最後に入ってたってやつ?」
「そう」
「最後に希望が入ってたからって、厄災を撒き散らした事を無かった事には出来ないよね」
「手厳しいなぁ」
「好奇心に負けて匣を開けなければ人間はもっと幸せに生きていけたかも知れないんでしょ? 最後に残った希望のお陰で人類は絶望することなく生きていけるのだ、って説教臭くて嫌い」
「仕方ないじゃんそーゆー話なんだから」
「神様って身勝手だ」
「神様嫌い?」
「嫌い。気紛れで、ご立派な事言いながら自分達は好き勝手やってる癖に、人間がちょっと過ちを犯すと天罰だ何だって滅ぼそうとするから」
「良かった」
「?」
「貴女みたいな人を探してた。貴女こそ私達のたった一つの希望。神と戦い、この世界を真の意味で人間の手に落としてくれる人」
「·····アンタは何?」
「よく分かってる筈でしょう?」
親友だと思ってた〝ソイツ〟からは、蝙蝠のような大きな翼と山羊の角。そして何にも似てない黒くて長い尻尾が生えていた。
退屈だった生が、ちょっとだけ楽しくなってきた。
END
「たった1つの希望」
食べたい寝たい飲みたい読みたい。
やめたい逃げたい拒否したい。
買いたい並べたい揃えたい。
捨てたい消したい直したい。
旅行に行きたい買い物したい。
推しがもっと評価されるようになって欲しい。
本がもっと安くなればいい。
全ての兵器が無力化すればいい。
人を傷付けた者には等しく報いがあればいい。
お金が欲しい。本が欲しい。
ぱっと思いつくだけでもこんなに。
日々の小さな欲望から、世界に対して願う事まで。
どれも欲望である事に間違いは無い。
人は欲望で出来ている。
世界は欲望で回ってる。
願い、ではなく欲、の方が、動く為のモチベーションは上がる気がする。
END
「欲望」
気がつけば、向かい合わせの個室車両に乗っていた。
車窓から見えるのは背の高い草が茂る緑の海。
向かいの席では男が片肘をついて本を読んでいる。
状況が分からず男をじっと睨んでいると、視線を感じたのか本に落としていた視線を不意に上げてきた。
「·····」
朝の光に薄紫の瞳が輝いている。
男は読みかけの本を閉じると口元に淡い笑みを浮かべて言った。
「私もいつの間にか乗っていたんだ」
こちらの心を読み取ったかのようだ。
「どこに行くのか分からない。現実か夢かも分からない。ただ、途中下車は出来ないみたいだ」
男は言って、視線を窓へと転じる。
「――」
さっきまで草原だった景色が、砂漠になっていた。
砂の海の向こうに微かに遺跡のようなものが見える。
現実には有り得ない景色の変化。
だが夢とは思えなかった。
リズミカルな振動も、車輪が鉄路を踏む音も、窓から入り込む風も、確かに感じられる。目の前で微笑む男の、忌々しいまでの存在も。
「あぁ、〝湖〟だ」
懐かしむように男の眼差しが一層やわらぐ。
「·····君と私で、何かを見つけろという事なのかな」
男の言葉につられて視線を追うと、曇り空の下に白亜の城が見えてきた。
「·····」
草原、砂漠。湖に、白亜の城。
現実ではない。だが夢とも思えない。
互いの記憶の中にある景色の中を、列車はひた走る。
「長い旅になりそうだね」
男の声には、微かな喜びが滲んでいた。
END
「列車に乗って」
たまに無性に遠出をしたくなる時がある。
海の無い街で育ったからか、海の見える景色に妙に惹かれるのだと思う。
でも泳ぎたいとか遊びたいとか、そういう欲求は無い。ただ海のある景色を見て、そのただ中に自分を置きたい。そういう感覚だけがある。
港でも、浜辺でも、断崖絶壁でもいい。
海のある景色がいい。
遠くの街へ。
遠くの海へ。
今年は海が見られるだろうか。
END
「遠くの街へ」