どこかのあさみ

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6/8/2022, 7:56:12 AM

世界の終わりに君とキスをした
みたいな映画か本か何かなかったっけ?

5/27/2022, 4:21:32 PM


天国と地獄

ここ最近で私は、天国と地獄を味わった。
私にとって中学校は地獄と言うにふさわしく、
その後飛び込んだ世界は天国と言うにふさわしい世界であった。
きっとこれからも私は、地獄も天国も、更新し続けるのだろう。私の中の地獄は苦を味わうたびどんどんとくらい方へ変わっていき、同じように天国も、幸せを知るたびどんどんと明るい方へ変わり続けていくのだろう。私が死を迎えるときには、どんな天国と地獄をつくりあげているだろうか。そして、死んだ後は天国と地獄どちらに落ち着くのだろうか。私のつくりあげる世界は楽しみだが、死んだ後までそんなこと気にしたくはないし、死んだ後まで感情なんてものをもっていたくはないな。我儘な話ではあるが。

5/23/2022, 5:14:38 PM


逃れられない呪縛

私の逃れられない呪縛の話でもしよう。私の逃れられない呪縛は、しっかりとした揺るぎない1つの呪縛により生み出されたこまごましたものが多い。でも、こまごました呪縛の中で、断トツで1番の呪縛がある。
それは間違いなく「あの日」だ。
私は多分、過去3回程、自殺しようとしたことがある。正確には覚えてないし数えてなんていない。原因は、私の呪縛の根本的な所にいるものとも同じだが、中学校に行きたくなかったのだ。理由が分からかったから、余計苦しむはめになった。
軽いものが数回あったが、決定的に、本当に殺ってしまってもおかしくなかった時が1つある。それが、私が逃れられない呪縛。いつまでも「あの日」に囚われている。今生きてるし、大切な友達だって出来たのに、「あの日」に対する思考が止まらない。ここで文に起こしたら、少しは進めるだろうか?より深まるだろうか?分からないが、せっかくこんなお題が来たのだ、書いてみよう。

その日は、いつにも増して学校を拒否した。ただ、そんなのは日常茶飯事になっていた事もあるし、母だってストレスが溜まっていたのだろう。いつにも増して酷く行くことを強制された。休めなかったのだ。私が本当か嘘か分からない過呼吸になって、母にうるさいと言われたことをよく覚えている。確か、すごく泣きわめいたことも。
そんな中、母は喧嘩に疲れたのかねむってしまった。その時の顔は、とても不機嫌そうな寝顔だったかもしれない。そんな気がする。私は逃れられたと思った。そしてしばらくしたら、母の好きな配信者が、配信を始めた。
母の機嫌が良くなると思ったから、私は配信が始まったよと母を起こしてしまった。そこからが問題だった。
母の機嫌は良くなる所か悪くなり、より一層学校へ行けと進められ続けた。
その事から、元々私の頭の中にあった、私が死んで全て学校や母が悪いことにしてしまう、という戯言がとても大きなものになった。大嫌いな制服を最後の服にして、暗にお前たちが悪いのだと言いたかった。人1人を殺す原因をつくってしまった人に、仕立てあげてしまおうかと思ったのだ。
今まで抵抗し続けた制服を素直に着て、準備をして、私は台所に向かった。なんなら、大好きな母が台所に来たタイミングで死んでやろうかとも思った。その時だけは、母が、母が憎かった。もしかしたら少しだけ止めて欲しいという思いがあったのかもしれない。私が死んだから泣く母も、目の前で私が死のうとした時の母の反応が考えられなかったから。なんならトラウマにでもなってしまえばいいとさえ思った気がする。でも、同時に、見つかって救急車でも早急に呼ばれてしまっては、助かってしまうかも知れないではないかとも考えていた。
刺す場所なんかも考えた。なんとなくお腹かななんて考えていたけど、痛いしなかなか死ねないとどこかで見て、絵面的にも喉か?なんても考えた。ただ、非力な私で骨を包丁で貫けるかという不安もあり、なんとなくその二択かななんて考えてた。
台所の蛇口から謎に水を流していたような気がする。それは違う日だったかな?3回のうち1回は、1度首を絞めようとして、全然苦しくなくて、自分の弱さに泣いたことがある。ちなみに、こんなことをしたせいで、私は首に手を置くのが、とてつもない程に弱い力で締めようとするのが癖になってしまった。完全に馬鹿だ。その時だったか?もう覚えていない。
泣きながら、包丁を見つめ続けた。なかなか、勇気が出なかったのだ。いや、包丁を持とうと柄に手をかけたか?覚えてないが、まぁそのくらいの殺る気だったと思う。手を、爪の後ができるほど強く握りしめた事を覚えている。これも、その当時の癖だったが、普段とは比べ物にならないほどの力だったと思う。多分結構な長い間見つめていた気がする。だが、その間何を考えていたかなんて覚えていない。そこの記憶はあやふやだ。
そんなこんながあって、だんだん、色んな歌が私の頭の中に流れた。辛い時の自己防衛方法だったからかもしれない。曲名は伏せるが、まぁ自殺防止ソングだ。他にもあるが、生きると言え、という歌詞が最終的に頭に流れて死ねなかったことを鮮明に覚えている。今その歌詞が流れるのはずるいと、涙が、アニメみたいに強く握りしめた拳に落ちたことも。
確か、その日は、やめたその後は、心はボロボロで弱々しくなっていたと思う。そしてやけに心がスッキリしたと思う。
そこからは、母がしびれを切らし車のエンジンをかけて、大人しく私は学校へ言った。その時も、母の機嫌は最悪だった。
学校は掃除の時間だった。心がふやふやな状態、頭が泣きすぎと色んな感情により正常に動いてはくれなかったが、私が掃除場所に行った時、なんだか、おかしな空気になった記憶がある。泣きすぎで顔がおかしかったのか、私に漂う雰囲気が普通じゃなかったのか。分からない。

ここまでが、一連の、流れだったと思う。未だにこの時間に囚われている。逃げ出せやしない。ただ、ここまで鮮明に思い出したのは久しぶりだ。
多分、大きくなっても付きまとう呪縛となるだろう。だが、進みたいと願う今はあるから。未だに、あの時死んでいたらどうなっていただろう、否定し続けているが、あの時、死んでしまえば…と過ぎったことが、ないと言えば嘘になる。でも、過去の私はそこで死んだから、新しく人生を歩もうという気持ちもあるから。
いつか、ここから逃げ出せるだろうか。

5/11/2022, 3:05:48 PM


愛を叫ぶ。

私は今ここで、愛を叫ぶ。
何にも、どんな愛をもなく。そうやって何もなく叫んだ愛は、とても醜く、とても中途半端で、とても、綺麗で真っ直ぐだろう。

5/9/2022, 6:42:58 AM


一年後

何してるだろう。来年やりたいことも無いわ。ただ毎日を無駄に消費してる私には、なにもないわ。

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