Keito

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2/7/2024, 8:05:30 AM

「あの、落としましたよ。」

背後から突然、若い女性にこう声を掛けられた。
カギかな?音はしなかったけど、と思いながら、「え…あ、あぁ…すみません。」と、反射的にペコペコと頭を下げてしまう。
2ヶ月も前に退職したとはいえ、長年の営業職のクセが残ってしまっているようだ。

しかし、「はい。」と、彼女が差し出した手のひらの上には…何もなかった。

「…えっ?あの、僕、何を…」
「最近、時間が止まったように感じていらっしゃいませんか?」
「…え?」
何を言っているんだろうと、彼女の顔を見ると、真っ直ぐに僕の目を射抜いていた。
「止まったというより、なんとなく張り合いもなく、ただ一日が過ぎていく、が正しいかしら。」
「あ、あの…」
「仕方ないわ、あなたからは失われているもの、大事なものが。」
「は、はぁ…」
なんだ、突然のファンタジー設定か?
「だから、はい。」
そう言って彼女は自分の手を、僕の胸に当てた。
「あ、あの、どういう!?」
「…大丈夫、あなたはまだ動けるわ。ちょっとお休みしているだけ。ほら、聞こえるでしょう?リズムを刻み続ける鼓動の音が…」
「あ、あの…」
「うん、もう大丈夫。時を刻み出した。」
「え?」
「それじゃあ。」
な、なんだったんだよ…。

唖然としながら、去っていく彼女の背中を見つめていると、ポケットの中のスマートフォンが振動した。
「メッセージ…いや、電話?」
珍しいと思いながら通話ボタンを押すと、先に辞めた先輩から、「フラフラしてると聞いたが、暇ならうちで働かないか。」という内容だった。

「あ…ありがとうございます!」
「お前さ、なんかやってないとダメになるタイプだろ?しかも、自分のことよりも他人のために。」
「え、あ…そう、なんですかね…。」
「自覚なかったのかよ。まぁ、そこも含めてお前の良いところだからさ。そんなお前とまた仕事したいと思ったんだよ。」
「あ、ありがとうございます…。」

さっきの彼女が、本当に何かしたのだろうか。
わからないけれど、何かが動いた。
それは事実…そんな気がした。


「彼、ちゃんと動いたみたい。良かった。」
「さっすが、うちの占い館No.1ですね!アタシも見習わなくっちゃ。「見習い」だけに、なーんてね!」
「たまたま見えただけよ、彼の中の、止まった時計が。それに少し、力を込めただけ。それと…昔、少しお世話になったお礼がしたかったの。」

この町に越してきたとき、部屋を探すのを手伝ってくれたのが、不動産屋に勤めていた彼だった。
そのときは本当に楽しそうに仕事をしていたのに、今日の彼は生気がなくて…思わず、力を使ってしまった。

「あーあ、少女マンガとかドラマなら、ここから恋愛に発展するんだけどなー。そういう気配はないんですか!?」
「そ、それは私にもわからないわよ!」
「ふふ、顔真っ赤ですよー。」
「…っ、もう!」



お題「時計の針」

2/5/2024, 2:46:34 PM

「なんか…疲れてる気がするな。」

きっかけはそんなもの。



「ジドウジンセイソウダンシステムニ、ヨウコソ
200エンヲ、オイレクダサイ」

「ソレデハ、アナタノゲンジョウヲ、オシエテクダサイ」

・年の離れた旦那と二人暮し
・子供はいない
・仕事は週4日
・先日、転職が決まり、今は転職先の勤務開始日まで自由な時間を過ごしている
・給料は自分で自由にできる

「デハ、シアワセナコトハ、ナンデスカ」

・好きな人が隣にいてくれること
・お金が自由に使えること
・衣食住に不自由せずに暮らせていること
・遊んでくれる友達がいること
・両親が元気なこと

「デハ、フシアワセナコトハ、ナンデスカ」

入力する手が、止まる。

「フシアワセな、こと?」

フシアワセ…ふしあわせ…不幸せ………あれ?

自分の口ぐせを思い出すと「料理を作らなきゃいけない」とか「掃除が全部私任せになってる」とか、不満に感じることはよく出てくるけど、不幸せなことって…何も、浮かばない?

「あれ…私…もしかして…?」

入力がなかったからなのか、もう一度同じ質問が流れる。

「デハ、フシアワセナコトハ、ナンデスカ」

・特になし

「ソレデハ、アナタハ、シアワセデスネ
ヒキツヅキ、シアワセナジンセイヲ、オスゴシクダサイ」

「幸せな人生…」

硬貨を求める最初の画面を見つめながら、私はその言葉を噛み締める。

「そうか、私、客観的にみたら、幸せなんだ。」

たかがシステムの回答だ。
しかも、気まぐれで200円硬貨を入れただけ。
回答内容もAIが発達したこの時代に、カタカナ表記の定型文のみ。

「…そうか、私、幸せなんだ…幸せ、なんだね。」

何故か、少しの涙が頬を伝った。




お題「溢れる気持ち」

2/4/2024, 2:59:13 PM

「んー…おはよー…ふふっ、くすぐったいよ。」

毎朝、ワタシに向けられる、ふやけた笑顔。
そのゆるんだ口元に、ほっぺたに浮かんだえくぼに、ワタシは更にぬくもりを落とす。

「ははっ、なんだよ、お腹空いたのか?…時間…あー…寝すぎたか…。わりぃ、わりぃ。」
優しい大きな手が、ワタシの頭を撫でる。



違う、違うの。



「貴方が目を覚ましてくれて嬉しいの」
「貴方が目の前で笑ってくれているのが嬉しいの」

この言葉は、この想いは、貴方の目を見つめているだけじゃ届かない…。
だけど、貴方の目が今日もワタシを見つめていることにほっとして、ただ見つめ返してしまう。
毎朝、毎朝。


「…お前さ…俺が目を覚ますと、安心した顔しない?」

え?

「じいちゃんのことも、こうやって起こしてたのか?…亡くなった日の朝も。」

…そう、そうなの。
彼は、あの日、目を覚まさなかったの。


ずっと隣にいて、どこにでも一緒に出かけていた、愛しい人。
「稲穂みてぇに綺麗な毛の色だから、『コガネ』だな。」
その名を何度も何度も、手のひらに収まっていたときから、最後の眠りにつくときまで呼んでくれた、ワタシのご主人様。


「突然、だったもんな…。もう5年…なのか、まだ5年なのか…。お前の気持ちはわからないけど…そりゃ、不安になるか…。」

そう、そうなの…伝わっていたの?

「よしっ!」と貴方はいつも通り、一言気合いを入れて布団から起き上がった。

「ちょっと遅くなったけど、飯食ったら散歩に行こうぜ!今日はなんも予定ないし、お前の気が済むまでさ。…俺は、お前より先には死なねぇから、安心しろよ!な!」
そう言いながら、貴方はわしゃわしゃとワタシの頭を撫でた。

あぁ…あぁ…愛しい貴方。
ワタシの気持ちが伝わるくらい、貴方との生活も長くなっていたのね。

「ワン!」

貴方がワタシのご主人様。
二人目の大事な、愛しい人。

お題「kiss」