桜が散って悲しい、と父は言った。
私はまた来年見れるから悲しくないよ、と言った。
何百、何千年前も人は散る桜を前にそれぞれの感情を持ったのだろうという普遍的な思いに触れて、また美しいなと思った。
「それでいい」
職場で、合わない人と関わった時、すごく辛くて悩んでいた。
でも周りの人はその人とそつなくこなしている。談笑すらしている。
あれ?私が変なのかな?
私が気にしすぎなのかな?
モヤモヤから抜け出せない時、この感情がなくなればいいのにと思った。そういう本も読んだし、実践もしてみた。
でもある時ふと思ったの。
この違和感が私なんだなって。
皆と違う違和感。
この感情があったから気がつけた違和感。
あの人も言ってくれた。「それでいい」、と。
そう思うとすっとした。どんな本よりもすっとした。
感情を捨てろなんて本もあるけど、まだまだ私は人間なの。少しは大人になったけど、人間なの。ムカついたり、楽しんだり、悲しんだり。
どこまでも人間なの!
そう思ったら日々の感情が、ほら愛おしい。
「幸せに」
数年前、とても象徴的な夢をみた。
その時私は電車に乗っていた。乗り換えのため、下車し、対面のホームに来た電車に乗るとそこに10年前の大学生の時の私が乗っていた。
大学生の私は、今の私には気がつかず、電車の入り口のドアの端に立ち、俯いていた。
今の私は現実では悩み事がたくさんあったのだが、その姿を見るととても愛おしくなった。
大学生当時の私は、孤独な浪人時代を経て、キラキラの大学生活へゴーしたところだった。
大学の勉強やアルバイトも楽しく、それなりに充実していたが、対人関係を克服するのにすごく苦労していた。特に異性だとより苦労していた。
そんな当時のことを思い出し、その姿をみている今の私。
もちろん今も対人関係で苦労してないわけではない。
でも自分なりにすごく努力した。
すごく努力したんだよ、私!!
常に自己肯定感が低い私だったが、ふとその軌跡を見ると、ああ、なんて頑張ってきたんだろうかと、すごく愛おしくなった。
過去の私、今より絶対幸せになってるからね。
そして今の私。きっと未来の私も愛おしくってハグしてるよ。
「ハッピーエンド」
終わりよければすべてよしって言葉があるけど、その終わりに至るまでに(なんやかんや)あって、「(なんやかんやあったけど)終わりよければすべてよし」って言葉が思わず出るんだと思う。
いま(なんやかんや)問題がある人、(なんやかんや)闇の中にいる人、(なんやかんや)モヤモヤしてる人は、その終わりがあることをまず信じて、終わろうとすること、どうやったら終われるかを考えること、はたまた遠くから俯瞰してみた時に、あれ?もう実はゴール見えてる?と気がつくこと、意外と他人からしたら大した問題ではないこと、など、終わり地点から(なんやかんや)を観察してみよう。
ハッピーエンド、その終わりだけに褒めがあるようだけど、その言葉がぽろっと出てきたこれまでをも愛でてあげよう。ぜ。
「見つめられると」
素直におしゃべりできない?
メガネをかけてる人だと
もっと心がみられてるようで
おしゃべりできない?
わたしの心の中がもう少し片付けできたら
カギを渡したいけれど、
今はブラインドをかけてるの
よくホコリがたまるから
また見つめてね