夜桜の浮かぶ露天風呂でとぽとぽという音を聞きながらふと、物思いに耽った。
「人間を形の無いものにしてしまえたら」
もちろん生きているうちは不可能であるが。
死んだ後、魂だなんだのいいながら、結局僕らは死者を有形のものに留めてしまう。
例えばお墓。日本なら遺骨だし、海外ならそのまま残す場合もあるだろう。
例えば、形見。人の想いは、その人の所有物に宿るなんて思うよね。
人はいつか死ぬとは分かっていても、離れ離れになるというのはそう簡単に受け入れられることでは無い。
記憶の力に頼るには、あまりに僕らは無力である。
しかし、土地も資源も有限である。
いつか世界が死体で埋まる日が来たなら、生きている僕ら生身の人間の方が価値が無くなってしまうのだろうか。
バカみたいな話だけど、ブラックホールに死体を投げ込めば、形を無くすことになるのかなぁ。
そうしたら、たとえ故人のいない世界が寂しくて生きるのが辛くても、死体の無い通りの桜なんて美しくなくても、形ある人間が生きるその道だけは残るだろう。
ああどうか神様、
僕が死んでも人間の邪魔者にはしないで。
溢れた涙と一緒に僕はぶくぶくと湯に潜り込んだ。
水面越しに見上げた桜は、死ぬには不揃いな美しさであった。
浅瀬に浮かぶジャングルジムに手を掛けた。
先には広く海が広がっていて
二段も上ると、水面下の美しい町が一望できる。
片手を離し、風を受ければ、
海賊船の船長にでもなった気分になった。
たくさんの仲間を連れて勇敢に嵐の中を進んでいく..
海中都市なんて綺麗な言葉には騙されない。
水没したこの街のみんなに会いに行く勇気、
一体あとどれくらいしたら手に入るのだろうか。
日が昇り始めると水面に光が反射してやけに眩しくなり、もうひとつの世界は見えなくなる。
僕は毎朝、世界からただ一人分断されるような気持ちになるのだった。
誰もいなくなった船を行き場も分からず進める。
とってもとっても晴れた日に
騒然とした街に華やかな鐘が鳴り響く。
とたんに街ゆく人々は地面に膝をつけて
天に祈りを捧げた。
静寂が訪れる。
美しい海が隣接するここパレイドゥーマでは、
月に一度だけこの鐘が鳴る。
桜の樹の下には死体が埋まっているなんてよく言うけれど、美しい海には一体何が隠されているんだろう。
ほら耳を澄ましてみて。
声が聞こえるでしょ。
また鐘が鳴って
街はいつものように動き始めるのだった。