人生に一度は訪れると言われているモテキですが、自分ではそれがいつかはわからない、というか、モテキが過ぎてから気づくわけで……。同じモテない親友も「俺のモテキは赤ちゃんの頃だったなあ」と悲しい回想を始めています。
かくいう私は小学6年生だったんじゃないかと思います。転校する女の子からこっそり呼び出されて「好きです」と言われたんだけど、まだまだピンと来ない男子である俺は「ありがとう」とかなんとか応えたっけ。もちろん嬉しかったけど、目の前の出来事が背伸びして見てるドラマのような感じでそのまま……。
彼女は最後の日にプレゼントをくれて転校して行きました。今思えばそれが瞬発的な俺のモテキで、そのあとはさっぱりモテない。その彼女は今いずこ?
その時にもらった妖精のような人形は、今でも机の横に置いてあります。ずっと隣で見守ってくれているような気がしている。片づけたと思ってもいつのまにか机の上にあったり、何回か引っ越しをしましたが気がつくと大事に運び新しい部屋に飾っていたり……。
そしてだんだんとわかってきました。
この人形は彼女だ。彼女の何かが乗り移って俺を見守っているのだ。いや、監視しているのだ。だからモテキがやってこない。そう考え始めてから、真剣に捨てようとしますがなかなか捨てられないし、この人形さえなければ俺のモテキが再びやってくるはず、なんとかしなくては……。
モテないまま月日が経ち、それなりの大人になった頃、同窓会が開かれた。そこに、あの彼女も来るという。
人形を見せようと持っていくと、彼女は人形を手に取って「ああ、それまだ持ってたんだ」と笑う。
「ずいぶん役に立ったわ」
そう言ってゴミ箱にぽいと捨てたのです。
長年、ずっと隣にあった人形とついにおさらばする時が来ようとは。そして、また瞬発的なモテキがやってきたのでした。
今度は逃れられない気がする……。
もっと知りたいが高じて貪欲に書物を読み漁り知識を蓄えていったが、ある日、それが一杯になった。もうこれ以上覚えきれない状態である。それがどういう感覚かはうまく説明できないのだが、誰しもその時がくれば、ああこれがそうだと感じると後から医者が教えてくれた。
例えば信号が赤いので止まるのはいいのだが、左側通行と右側通行の国では信号の赤黄青の順番に差はあるかに興味を持ち、それを調べた結果、違いがあるとわかると急に動悸が激しくなり、冷や汗が出て、なんとも知れない頭の痛さを感じる。これがその症状である。
医者はさもよくあることだと言わんばかりに「心配いりません。知識が満杯になっただけです」と言うがそんな症状聞いたこともない。薬を処方されてすぐに飲んだが、病院からの帰り道にスマホで調べてしまった。「知識欲過多満杯症候群」と言うのだそうだ。
頭痛えぇ、薬効いてないじゃないか!
唯我論とまではいわないが、世界は本当の人類とNPCでできている。だいたい半々くらい。NPCは世界を安定するように動いているのだ。平穏な日常はNPCのおかげ。
ちょっと周りを見てごらんなさい。あそこで靴紐を結んでいる人、右の靴紐、左の靴紐、しばらく見ているとわかる、ほら、また右の靴の紐を結びだしたよ。あれがNPCだ。多分明日も靴紐を結んでいるだろう。あの動作が平穏な日常にどのように寄与しているかは、よくわからないんだけどね。
まあ、俺も毎日毎日、この場所の自動販売機で缶コーヒーを買ってるんだけど、飲んだ記憶が無いんだよな〜。
僕らは何も考えずに生きていた。愛と平和の世界に生まれたと思っていた。ただそれは一瞬に過ぎない。あっという間に世界のバランスが崩れてしまう。言葉にしなくても感じた愛と平和は、言葉にしないと消えてしまうものになった。
彼は自分の人生を振り返っていた。子供の頃からの嬉しかったこと、悲しかったこと、さまざまな出来事が一度に蘇る。今再び過ぎ去った日々を生きている気がした。長かったような人生も思い返すとあっという間。ああ、これが死に際に見るという走馬灯か……。
全てが消え