「ご覧ください、このお寺に飾られた沢山の風鈴!綺麗な音が響いてとっても涼しげです」
テレビから美人お天気キャスターが中継する明るい声が聞こえてくる。
身支度をしながらそれを横目でちらりと見た僕は、
「風鈴の音ごときでこの世が涼しくなると思うなよ!」
と悪態をついた。
夏が夏の概念を捨てて猛暑、酷暑、更にそれを超えた何かに成り果ててからもう何年も経っている。
それでもテレビは打ち水だの風鈴だの、気休めにもならない対策をいつまでも嬉しげに紹介してくるのは何なのだ。
テレビを消し、ため息をつきながら玄関のドアを開ければ、間違ってオープンの中に入ったのではないかと錯覚しそうな灼熱に晒された。
駅までのほんの10分の道のりも、この季節は永遠に続く修行のようだ。すかさず額から汗が噴き出て黒い髪の毛が熱を持つ。
日差しとアスファルトからの照り返しに挟まれながら朦朧と歩いていると、チリンと何かが鳴る音がした。
音の聞こえた方向へ視線を移す。道沿いの家の庭先に、小さな風鈴が吊るされている。ガラスではない金属製のそれは、もう一度、硬質で高く空気の上を滑るような音を軽やかに奏でた。
瞬間、記憶が蘇る。もう二十年も前だろうか。まだ祖父が生きていた頃。やはり庭先に吊るされた金属製の風鈴がこんな音を奏でていたことを。
あの頃は朝夕はちゃんと涼しくて、風が吹いて風鈴が鳴る度に、夏を名残惜しむようなそんな切ない気持ちになったことを。
風鈴の音ごときで涼しくなどならない。しかし、僕はその風鈴の音に少しの間耳を傾けた。
昔は良かっただなんてジジイみたいなことは言いたくない。それでも、かつての夏の空気がどうしようもなく恋しい。
あの風鈴が鳴っていれば、それを目印にして夏が帰ってくるんじゃないか。そんな風に思った。
僕のアパートのベランダにも吊るしてみようか。
「風鈴 金属」とアマゾンの検索窓に打ち込みながら、僕は駅へと歩き出した。
心だけ、逃避行
泥だらけ、包囲網
トトロだけ、総移動
ロゴだらけ、羊皮毛
冒険
「小学生の頃、知らない道を見つけたくて近所中の曲がり角を曲がってみてたんだ。ちょっとした冒険だったな」
夫はそう語ってくれた。
街の子どもの冒険って感じだな、と思った。
田舎の子どもの冒険はな、あの山を超えてみようとか、この坂を滑り降りてみようとか、この谷を下ってみようとか、ガチの冒険だったんじゃよ。
とマウントを取りそうになって抑えた。
届いて……私のもとへあらゆる富と幸運が、届いて……!!!
「ねえ見て、綺麗」
どこまでも美しく広がるオレンジの夕焼けに、彼女は目を細めて言った。
「あの日の景色を覚えている?大学時代、今日みたいに暑い日だった。あなたが」
「ああ、もちろん覚えているよ」
彼女の言葉を遮って僕は答えた。
それは僕が彼女に告白をして、OKをもらった日だ。忘れるはずもない。
彼女がぱあっと顔を輝かせて微笑む。
「やっぱり覚えてたのね!あなたがバイト代が入ったばかりの財布を落として泣いていた日の空も、こんな夕焼けだったよね」
「えっ」
「それからあなたが単位を落として留年しかけた時に、先生に土下座してくるって走って行った日もこんな風に綺麗なオレンジ色だった」
「えっ」
「焼肉に行って食べ過ぎてコンビニのトイレに駆け込んだあの日も」
「ちょっと待って」
彼女による僕のエピソード披露はこの後更に五つ続いた。
彼女の中で美しい夕焼け空は、僕の情けない姿と共にあるらしい。
これはこれで、愛されているのだと思う。