空の上には雲があって、雲の上には成層圏や大気圏があって、その先には宇宙が続いている。
そのことを確かに知った上で、亡き人を思う時には空を見上げてしまうのは何故だろう。
現実的に言えば空の上どころか真逆の土の下に埋められているのにね。
だけど大事な人には、暗いところよりも明るい場所にいてほしいから、やっぱり空の上でいいと思う。
今日も私は(お父さん、そっちでお酒は飲んでいるかい?)と空に向かって問いかけるのだ。
はじめまして!会えて嬉しいです!ねえ前言ってたアレは結局どうなった?うちはこんなことになってさ。そうそう、そんなこともあったよね。えっ?あれってもう5年も前?なつかし〜!
この矛盾する会話が成り立つ関係性があるんですよ。
そう、SNSで仲良くなってから現実で初めて会うパターン。
手紙を交わしてから逢瀬にいたる平安貴族もきっとこんな風だったのかもしれない。
僕は知っているんだ
またね!なんて言って別れてさ
もう会わなくなった人
もう会えなくなった人
今までに沢山いるんだ
それくらいふんわりとした言葉なんだ
だけど、きっとそれでいいんだ
ほんの1ミリでも
また会いたい気持ちがあるならば
可能性があるならば
またね!と元気に手を振って別れようよ
また会えたね!と笑い合えるその日の為に
じゃあ、またね!
ほころぶ蕾と花の香り
眠気を誘うあたたかな陽気
新たな環境に新たな出会い
春風とともにやって来るものに敏感な私たちは
春風とともに去りゆくものにはどこか鈍感だ
さよならキリリと冷たい冬の空気
さよなら済んだ夜空にくっきりと輝く星々
さよなら山の頂を白く染める雪冠
「また来年ね」とぽつり呟いて
さあ、春を迎えよう
涙の数だけ強くなれるよ
それが本当だとしたら、私は今頃素手でカボチャをかち割ったり夫を片手で担ぎ上げたりできてるはずなんですけど、まだできないな。おかしいな。
涙の数だけ強く(物理)なりたい