春になるとなんだかわくわくするのは、きっと春の日に踏み出した新しい一歩にわくわくした記憶があるから
春になるとどうしようもなく切なくなるのは、きっと春の日の別れに切なく涙した記憶があるから
春になるとそわそわと落ち着かないのは、きっと春の日にとてつもない激務に身をすり減らした記憶があるから
春になるとくしゃみ鼻水が止まらないのは、確実に春の日に舞う花粉の情報を身体が記憶しているから
もう二度とヒートテックもう片付けていいよね、なんて言わないよ絶対(朝晩さむい)
何十年も生きてるのにいまだに春先の気候に合わせた服装選びが難しい。
雲り と聞いてすぐに思い浮かぶのは、
くもりなきまなこで見定め、決める。
あ〜カッコいい。もののけ姫のアシタカの有名なカッコいいセリフですね。
しかしくもりなき眼ってなんだ。私の中ではくもってる眼=白内障なんだけど、まだ白内障になってない眼ってこと?だったら私もくもりなき眼の持ち主なので実質アシタカなのでは。くもりなき眼で確認し、送る。とか仕事でメール送る時に言えちゃうわ。
明日あなたの同僚が突然このセリフをカッコつけて言ったらそれは私です。気付かないフリをしてください。
bye bye…
3点リーダー多用する民ではあるんですけど、英語に付けるとなんだろう、日本語で書けることをわざわざ英語にした上に3点リーダーの醸し出す情感まで乗せてくるという思想の強さを感じるからちょっとお腹いっぱいですね。
ちなみにAIにこのお題で短い文章をお願いしたらこんな感じ。↓
「バイバイ」と彼女は小さく手を振った。夕陽が空を赤く染める中、その背中が遠ざかっていく。風がそっと頬を撫で、別れの静けさが心に広がった。
英語と3点リーダーはさらりと無視されてるけど、今後そのあたりも読み取ってくれるようになるのかな。
【手を繋いで】
親子が楽しげに手を繋いで歩く姿は、誰が見ても微笑ましいものだろう。
でも、私は子供のころ親と手を繋ぐのが苦手だった。多分、感覚過敏があったのだろう。特に右手を繋がれるとなんだかぞわぞわむずむずとして落ち着かないのだ。
成長して恋人と手を繋いだ時、感覚は多少落ち着いたのかぞわぞわはしなかったけれど、やっぱり手は自由なのがいいな、と思ったものだ。
手を繋ぐにも向き不向きがある。
ちなみに親として子と手を繋ぐ時、小さな手がぎゅっとしてくれるのはとても可愛い。
しかしその五秒後には飽きてそわそわ手を離そうとする子の様子を見ると、だよねー!と深く頷く。危険回避のために離さないけど。
【君と見た景色】
あの日君と見た景色を覚えているよ。
二人で一緒に同じものを見た時間は、かけがえのない思い出になったよね。
夕日の沈む海面がキラキラとオレンジ色に輝いて、空がゆっくりと薄紫色に……え?覚えてない?空は見てないって?えっと、じゃあ君は何を……え?カニ?足元のカニを見てた?そっか……え?二匹いた?そっかあ〜〜〜〜〜