七夕の日
スーパーの短冊コーナーで
幼い頃ははしゃいで短冊を手に取り
竹の所に手を伸ばし
はしゃいで笑顔で帰って行った
いつからだろう
こんなことではしゃげなくなったのは
これは心の成長のうちにいれていいのか
ただただ心が荒み
日本の文化、行事に対する関心が減っていった
無様な大人、思春期野郎達と同族になったのではと
中3ながらに思う
七夕という美しくも儚い議題で
こんな荒んだことを書くのは私しかいないだろう
だがこの思考に陥りとてもショックを受けた という
証明になるだろう
マジでショックだったのだ
今からでも日本の伝統文化の儚さ、美しさに触れ
楽しむことが出来る心が豊かな大人へと更生したいと
心から思う。
その日はストロベリームーンが出る予定だった
私は恋人へ
「一緒に見に行こう」
と洒落た誘いを駆け出し
一つ一つ過ぎ去る日付を数えながら
ストロベリームーンの日を待っていた
当日、天候は私の気持ちには答えてくれなかった
曇りであった
だが愛しき人と、夜中の肌寒い中駆け出し
走り回るのは
ストロベリームーンなんかなくたって
十分甘酸っぱくて照れくさい思い出になった。
私は闇が深い本が好きだ
厨二病ではない
もっとくだらない理由だ
自分より不幸な生き様をみて
「自分は幸せだ」と、
自己暗示をしたいだけ
そして安心した後に
その物語を教訓にして
私は不幸にならないぞと足掻きたい
それだけなんだ
本当はもう限界なのにね
それでも足掻きたいのよ
私は広い部屋より狭い部屋の方が好きだ
周りの物が視野に入りやすいから
突然なにかに襲われることも無いし
ものの管理もしやすいのが変化を嫌う私に
ピッタリだ
私の友好関係と一緒
広がり過ぎると怖いし
ちょっとでも変化すると落ち着かない
「狭い部屋」という語句から
友好関係まで連想し
友好関係の狭さに病むという
己の大いなる想像力と
メンヘラの素質に驚愕した
時からは逃れられない
初々しく幸せな一時もいつしか終わりを迎える
この終わりから逃れられぬものは居ない
この有限な時をどう使うか
それを考えなくてはならない
趣味や特技を磨くか、勉学に励むか
パートナーと過ごすか親友と過ごすか1人で過ごすか
子は作るか作らないか
介護するかしないか
長生きするか、幸せなうちに死ぬか
逃れられないのだからそれを受けいて
考えなくてはならない
わかっているのに...
それでも逃げてしまう
逃げてしまうんだ...