「ほら、笑って!」
いつもみたいに弾けてるボブヘアの彼女が私に言ってみせた。
いーっと口を横に伸ばして、何とも可愛らしい顔をしていた。
しかし、カメラが嫌いな私は、レンズの余所の景色に瞳が動いていた。
今はおやつ時の雲の少ない水色の空。
そして鼻につくくらいな甘い蜜柑の香り。
ここは私の祖父の蜜柑畑で、冬休みだからこっちへ来たのだ。
今日はこっちに来て3日目で、ここにいる最終日だ。
今こっちに一眼レフを向けている彼女は、私の従兄弟で、カメラマンを目指しているタマゴだ。
彼女はこっちに住んでいて、普段は会えない。
まして、私は普段海外にいるのだ。
なのでほぼ3日、一緒にいた。
「…もう撮っちゃうからね!」
気付いたらカシャ、という音がした。
どうやら、私の退屈そうな顔が撮られてしまったらしい。
「これ、アンタの家に送り届けてやるからね」
なんだか恨みがましくそんなことを言われた。
母はまあいいとして、そんな顔を弟に見せたくはなかった。
「…やめてよ」
「じゃあ笑ってってば」
「…嫌だな」
「もー!」
…と、そんなことをしているうちに、
祖父がこっちへ来た。
「…じいちゃん」
腕についている時計を見てみると、時間は飛行機が離陸する一時間前へとなっていた。
「…行くか」
「あっ、私も行くんだから!」
…嫌と言っても付いてくるだろうし、祖父は私とこの子には甘い。
「…いいよ」
「うん!」
私達は、キャリーケースを持って、水色の少し錆びて剥がれた軽自動車へ乗り込んだ。
そうすると、彼女との他愛ない会話が、すごく価値のあるものに思えた。
目的地まで、どんどんと距離は縮まっていくが、私はそれまでの間、彼女との会話を絶やすことはなかった。
しかし、そうしている間にも時間は溶けていくのだ。
あっという間に、自動車がガクンと揺れて停止した。
「あ…」
小さく声も漏れたが、もう降りるほかはないのだ。
キャリーケースをゴロゴロと引きずりながら、まだ私は彼女との時間が恋しくて、絶え間なく会話を続けようとした…が、もう言葉が出てこなかった。
彼女も同じようだった。
少しまだ余裕があったので、待ち人用の席に座った。
祖父は、私に見送りの言葉だけかけて、車に戻った。
しかし彼女は戻らなかった。
「…………」
「……………」
沈黙が続いた。別れの言葉の一つでも、言ってくれればいいのにと、思う。
「………じゃあ、また…」
「…ぐす」
飛行機に乗り混む前に、鼻を啜る音が聞こえた。
「う…う」
「…え、ちょっと、落ち着いて」
彼女は目元から耳まで真っ赤にして泣いていた。
…私だって泣きたい。
「……写真…」
「え?」
「写真、撮ってよ」
彼女を泣き止ませるには、これしかないと思った。
私にとっては、写真を撮ってる時の、笑ってる彼女が一番だから
「…一緒に、写る?」
「………う、うん…」
カメラを自分たちに構えた。
「…ほら、こっち寄って」
「う…うん。」
「もっと笑ってよ。」
「うー…うん。」
これからまた暫く会えなくなるのか
…3年くらいかな?
「…ぐす、う」
ああ…絶対飛行機の中で泣こうと思ってたのに
後ちょっとだったのに…
「ぐす、え、泣かないでよ、ね、ほら、スマイル!」
彼女は私の顔を掴んでこっちへ向けると、ニッコリと笑った顔を見せた。
「あ…はは、うん。」
彼女はそれでこそ目は赤く腫れていたが、いつもの笑顔そのものだった。
「うん…スマイル」
二人でレンズへ顔を寄せた。
レンズには私達の顔が反射していて、なんとも不格好だったが、これでいいのだ。とおもった。
カシャ、と音がなって、
私達はまた違う場所で暮らすことになった。
飛行機に乗り込んだけれど、これなら家族にいい報告と写真を見せられそうだ。
私は、ここ以外の、どこにもかけないことを、ここにかく。
誰にも信じてもらえなかったし、ここ以外に書いたら、もう会えなくなる気がするから。
会えなくなると言っても、単なる希望なのだけど。
私は確かに見た、その時の少しだけ長い話を
いつも通りのつめたい空気の中、坂を一人で登った。
そんな中での最近追いつけなくなってきた数学への焦燥感、常に疑問に思う持久走の必要性、私が嫌いな子の世話係だったり
なんだか常にこんな感じな私は、一度でもそんな重みを忘れようとした。
なので、その日は学校へ、朝早くに仕事に出かける母親のふりをして、学校へ行かないことを告げた。
私は確かにそのあとの十何時間、自由の身になった。
窓を開けて、カーテンを開いて、音楽を聞きながら、小説を書いていた。
いつも持ち込んでそのまま追い返される私だけど、
その日は筆がスルスルと動いていた。
音楽を聴くのは刺激になる。
いろいろな曲を聞けた。
海辺にいる恋人の歌だったり、好きな人が別の人を好きな、ちょっと可愛そうな歌だったり、
歌は色々な人生を垣間見る気がして、好きなのだ。
本も同じ、例えば、小説でなくとも、解説書だって、それを書いている人たちの知識だったり、いろんなことが伝わってくる、と私は思っている。
私はおすすめの曲のプレイリストをツラツラとスワイプしていたが、
なんだか可愛らしいサムネイルの曲を見つけたのだ。
まさに、今私が書いている小説とぴったりなような気がした。
天使が普通の女の子のところに舞い降りるという、まあなんとも夢見物語な小説だが、少女達に夢を与えるのが目的の私にはもってこいの話だった。
まあなんとも、私にとっては夢を与えるのが小説家なのだ。
というわけで、そのサムネイルの曲をタップした。
…生憎、曲名は私の知らない言語だった。
しかし、その言語はまさに、この曲とマッチしているような気がした。
そしてここからが一瞬なのだけれど、…
空いていた窓から冷たい風が吹いた。
開放感を味わいたかった私としては、大変嬉しいことだったのだけれど、カーテンが大きくなびくと同時に、原稿用紙まで吹き飛んでしまった。
ああ、しまった。と声に出して、
くるりと風に流されて回転して窓の下に落ちていった原稿用紙をしゃがんで拾おうとした。
その時、床に照らされていた窓から入った太陽の光が、何かで塞がれて少し暗くなったことに気がついた。
そんなコト経験したこと無いので、顔を上げてみると、なんとも白いものがいたのだ。
なにごとだ、と思って、少々目の悪い私は顔を寄せて睨んで見た。
たしかに真っ白な子だったが、私にはなぜこの子がここにいるのか疑問に思った。
この子…彼女は、私が書いている小説に出てくる
天使の女の子だったのだ。
頭の輪っかに白いもふもふの髪の毛、白い肌、
白い毛並みにワンピース、金箔のついた首元の縁まで、間違いない。私が脳内で想像していた彼女だ。
名前はまだない。しかし、マリという文字入れようとしていた子だ。
これは私が物語を書いている間に見た夢だと思った。
コレを使えば、私は賞でもなんでも取れるほどの素晴らしい出来事だと思った。
そうとなれば早く、彼女との対話を試みようとした。
私は対話が苦手なりに、天使らしい挨拶。
名前を尋ね、名乗り、特技だって披露した。
私が部屋に籠もる前にコンビニで買ってきたちょっとお高いお菓子も食べるか聞いた。
とにかく彼女の気をひこうと必死だった。
でも彼女は一向に反応せず、下を見続けている。
なんともさみしい夢だ。…と思った。
夢の中でなら自分の夢くらい叶えさせてくれよ。
と思った。
…あ、原稿用紙を拾い忘れていた。
そう思い、視線を白い木の床に落とした。
私の少し普通よりも丸い字で、天使のことが書いてある。
なんだか、少し虚しくなる。
私が丹精込めて書いたこの物語もクローゼットの中の段ボール箱に仕舞われるのだな、と感じた。
しかし結果はまだ分からない。
夢を与えるべく立ち上がった小説家のたまごが夢を叶えずに終わってどうするのだ。
よし、そろそろ夢からも目覚めよう。
と思った。
返事をもらえなかったのは悔しいけれど、自分の力で書き上げて見せるわ。
そう思って立ち上がった。
すると、彼女の頭が動いた。
…?どうやら、何かを見ているようだった。
私は視線の先を追った。
どうやら私の右手だ。そしてその右手には、例の原稿用紙が挟まれていた。
…もしかして、これか?と右手を胸の前で左右に揺らした。
ピラピラと音を立てて折れる薄い紙と一緒に、彼女の頭も左右に揺れる。
「…これがなんだかわかるかい?」
……………返事はない。
げ、ん、こ、う、よ、う、し…
返事がない。
しょ、お、せ、つ…
…どうやら知らないのか?
「…私は眩しさで目がくらんだが、天使の瞳とその視線に惑わされ……うわっ」
天使というワードを口にした瞬間に、ガタッと強い音がなるほど踏み出し私の眼の前に顔を近づけた。
…瞳……黄色い瞳まで、私の想像通りなのだ。
………………………
あっ!!!!
ビリビリビリ………!っと聞き慣れた音がする。
………真っ二つだ…
私の作品が真っ二つにされたのだ。
正直、私にとってはこれが一番つらい。
思いを踏みにじられたような、そんな感覚になる。
「……ああ…書き直しだ」
正直落胆した。なんだかコレは夢の中でもしんどいものなのだ。
はじめ持ち込みをしたときも破られたな。
その時も天使の話だった気がするが…
…私はもう天使どころじゃなくて、机に座り直してペンを持った。
そしてインクをペンにつけようとすると…
…ああっ!!!
カランっと音を立てて青いインクが全部出た。
私の白い机は青くなって、原稿用紙も青くなって、私の指先も青くなった。
「ちょっと…!勘弁してよ!そんなに書いてほしくないの?!」
しまった。言ったあとに気づいたが、私は天使相手に何を言っているんだ。
「……ごめん、なんでもない。」
といって顔を見たが、彼女の顔はさっきの私の言葉がピタリと考えていることと当てはまったかのような顔をしていた。
「………書いてほしくないの?」
「ーー……ーー」
「え?なんて言ったの?」
知らない言語だった。でも、綺麗な声をしていた。
「……あの」
……ーーガガ、と荒い音が聞こえてきた。
『ーーーー♪
「えっ?」
5時?……さっきまで青空だったのに?
………よく見てみるともう空が赤く染まっていた。
なんてことだ…
そこに彼女の姿はなかった。
しかし、机の上に、私の指に、原稿用紙に、青いインクが残っていた。