さよならを言う前に
私の家系は長生きらしい。
両親ともに健在だ。
同居している叔母もいる。
私が同居している夫の両親も健在だ。
5人とも90才近い。
皆、年の割には元気そうに見えるが、実際はいつお迎えが来てもおかしくない。
いつかはさよならを言うときがやってくる。
毎日の忙しさにかまけて、あまり話も聞いてあげられないし、今まで親孝行らしい事もしてあげられていない。
さよならを言う前に、もっと実家に顔を出して、もっと話をしよう。
空模様
今日の空模様は曇り。
雨ばかり続いているとお日さまが恋しくなるけれど、カンカン照りの夏はこれくらいの方が過ごしやすい。
最近は異常気象で四季もメチャメチャ。
私の住んでいる地域は、今年は自然災害もなく穏やか。逆に夏の風物詩だった雷もないし、夕立もない。
これはこれでやっぱりおかしい。
日本の美しい四季はどこに行ってしまったのだろう。
いや、世界中だ。
頑張って自然を守ろうとする人々がいても、危機感のない人々、自然より利益を優先する人々がいて、そう簡単にはいかない。
もう遅いのかもしれない。
でも、諦めてはいけない。私に出きることをしよう。
鏡
顔って毎日見ているので、変化に気がつかない。
でも、少しづつシワが増え、シミが増え、弛みが出ている。
毎日ではなく、1週間に一度とか1ヶ月に一度とか、1年に一度しか見られなかったら、もっと危機感を感じるかもしれない。
でも、だからといって老化を止めることは出来ない。
そう考えると、ショックを和らげるためには毎日見て、自分の変化に気付かない方が幸せかも知れない。
鏡に映る顔は正直だ。
疲れた顔、不機嫌な顔、悲しい顔、嬉しそうな顔、幸せそうな顔。
その時々の心を映し出す。
シワやシミが増えてもいい、幸せそうな顔を映し出して欲しい。
いつまでも捨てられないもの
痩せたら着られると思いとってあるお気に入りの服。
痩せないし、流行遅れで絶対に着ない。
昔好きだった彼にもらったアクセサリー。
別に未練があるわけではないし、身に付ける訳ではないのに捨てられない。
子供達の通知表、絵、作文、絵日記、その他諸々。
整理したいと思いながら捨てられない。思い出を捨てるような気がしてダメ。
灰の入った火鉢。
捨てる方法がわからない?
夫は昔付き合っていた彼女との写真やら、手紙やら段ボール一杯とってある。
死んだら家族に見られるのに何故だろう。
私はそんなもの見られたくないので全部捨てた。
まあ、楽しい思い出だったのだろうと思って、見逃している。
物置には夫の子供の頃の思い出の品、30年以上前の引出物、母がそば打ちするといって買ったそば打ちの鉢やら台やら包丁など一式(一度も使っていない)
そしてなぜか茶箱。
まあ、とにかく、どれもこれも必要ないものばかりで、狭い家を占拠している訳だ。
何とかしなければごみ屋敷になってしまう。
断捨離しようと心に誓った。
でも、子供達が書いてくれたかわいらしい手紙だけはやっぱり捨てられないなあ。私が死んだら棺桶に入れてもらおう。
良いお題ありがとうございます。
自転車に乗って
子供の頃、自転車は遊び道具だった。手放し運転、2人乗り、立ち乗り、下り坂でブレーキをかけずに下りられるか競いあったり。
今になって思えば、相当危ないことをしていた。
お転婆だった。
今の私なら、そんなことしている子供を見たら、ヒステリックに叫んで止めさせる。
大人になって車の運転をするようになってからは、自転車に乗ることはなくなった。
時間がもったいないし、疲れるし、夏は汗をかくし。
そんな私がなんの心境の変化か、突然自転車に乗りたくなって、アシスト付きの自転車を買った。
アシストが付いているので坂道でもスイスイ登っていけるし、向かい風でもへっちゃらだ。
そしたら、色々なところに行きたくなった。
山にも登ったし、霞ヶ浦も一周した。
風を切って走るのは最高に気持ちがいい。
しまなみ海道も横断した。
こちらはレンタルしたクロスバイクだ。
アシストは付いていないので、頑張ってこいだ。
途中寄り道して開山公園に桜を見に行った。
登りがキツくて途中押しながら登ったが、頑張って登った先には一面満開の桜が咲いていて見事だった。
渋滞の車を横目に駐車場が満車でもおかまいなし。
移動もできて、運動にもなる。
自転車って最高!