「どうして泣いてるの」
「しくしく…っ、うぅ〜」
一人の女の子に、私は思わず手を差し伸べた。
「お母さんが、帰っでぎでくれないの……っ。みーちゃん、さみしいよぅ」
「……そっか。あなたも私と同じだね」
幼い少女の手を柔く握って安心させる。一人でずっとこんな人気のないところで佇んでいたのだろうか。このまま一人にしていたら危険過ぎる。
「ねぇ、あなたの名前、何て言うの?」
「……お、お母さんが知らない人には名前を教えちゃいけないって、」
「ううん、私は知らない人なんかじゃないよ。あなたの、仲間」
「仲間……?それなら、ずっとわたしと一緒にいてくれる?」
「ふふっ、うん。そうする」
私の言葉を聞いた少女は、パアッと表情を明るくさせた。
「わ、わたしね、湊っていうの」
「みなとちゃん?可愛いお名前だね」
この子の喜ぶ顔が見れるのなら、どんな褒め言葉でもいいから言ってあげたいって思った。初対面なのに、おかしいよね。
それでも、自分と似たこの子を、私と一緒で孤独の中一人怖がって寂しがっているこの子を、笑顔にしてあげたいって思ったんだ。
だから───、
「湊ちゃん。もう、泣かないで」
そう言って、私は少女の頬を伝う涙を優しく拭った。
「うんっ。お姉ちゃん、優しいね」
私と湊ちゃんは、二人手を繋いで同じ方向へと歩いていく。これからどこに向かうのかは分からない。だけど、気の向くままに、この子とどこか遠くの世界へ行けたらいい。
私たち二人の背中を、真っ赤に燃える夕日の光が照らしてくれていた。
思わず身震いした。
「ううっ、寒っ」
家を出て、最初に吐き出したため息が白かったから、沈んでいた気持ちが少しだけ浄化された気がした。
冬のはじまりは、いつも透き通った尊さと澄んだ空気を連れてやってくる。
題名:終わらせないで
「もうすぐ冬だね」
「うん、そうだね」
彼女は頷いた。
彼と話す時は、いつも心臓が温かい何かに包まれて、ドクドクと速い鼓動を立てている。それが、今日はいつにも増して酷かった。その理由に、彼女自身ももう薄々気づき始めていたのだ。
「ねえ、真宙くん。受験勉強、一緒にしようよ」
彼のコートの袖を掴んで、動かしていた足を止める。そして、彼も私と同様に前へと踏み込もうとしていた一歩を踏みとどめて、こちらを振り返った。心臓の動悸が激しくて、苦しい。彼からどんな返事が返ってくるのか、粗方予想はついているから、それを聞くのが怖い。
「……ごめん、美穂。俺、そんな余裕はないみたい」
真宙くんは、本当に申し訳無さそうに顔を歪めて、そう言った。私の中で、何か大切なものがガラガラと崩れていく音がした。高3の冬のその日、私たちは何も言わずに、そのままそれぞれの帰路についた。
彼の謝罪に、私は何の言葉も返せなかった。
受験勉強をしよう、と彼に言い出したあの日から、2週間が経つ。その間私たちはラインや電話をしたり、たまに会ったりして“当たり前”を演じていたけれど、私にはその日常がだんだんと苦しくなっていった。
彼の本当の気持ちを知っているから、こんなにも胸が締め付けられる。彼の心は恐らくもう、私には向いていないのだろう。他の誰かに、想いを寄せているのかな……。
あぁ、やだなぁ……。苦しいな、だけど、別れたくない。私にとっての初恋を、そんな簡単に終わらせたくない。とにかく、彼自身から自分に別れを告げてくるその日まで、頑張ってみるとしよう。
大学受験の当日。その日は雪が降っていた。
「うっ……」
気持ちが悪い。吐きそう。
受験することへのストレスや圧迫感でどうにかなってしまいそうだ。私の前方、後方には同じ大学を受験する高校生や浪人生、そして大人たちが鞄を背負って同じ方向へと歩いている。
その表情からは、自信を感じられた。きっと、沢山勉強をして、私と同じようにストレスに苛まれながらも何とか頑張ってきた証拠なのだろう。……だけど、私には彼らと同じ自信がない。
もともと勉強が苦手な私が、県内最高レベルの学力を誇る国立大学を受験するのだ。無理もない。受験をしようと決意したきっかけは、私の彼氏である真宙くんが、この国立大学を受験するから。
学年で常に上位3位にいた彼からすれば、この大学の入試も難なく合格できるだろう。それに、彼の学力ならばもっと上の大学を目指せたはずだ。高校の先生たちも、それを惜しがっていた。
「おはよう、美穂」
「……!」
突然、隣から真宙くんの声が聞こえてきた。驚いて横を向くと、そこには穏やかで優しい笑みを浮かべた大好きな人が私の隣を歩いていた。
「お、おはよう」
慌ててそう言って、髪が乱れていないか心配になって手で髪を軽く撫でつけた。
「……、美穂、顔色が悪いよ。もしかして気分悪い?」
「……っ、え、っと。そんなこと、ないよ」
取り繕うのが精一杯だった。いつからだろう。本当のことを彼に真正面から伝えるのが、こんなにも難しく感じるようになったのは。きっと、本当はずっと前からそうだったのだろう。
「……、そっか。それなら良かった」
彼は他人の嘘を見抜くのが上手だから、今だって私の嘘に気づいたはずだ。それでも、無理に問い詰めないところが彼らしかった。
「うん……。心配してくれてありがとう」
「はは、俺は美穂の彼氏なんだから少しでも様子が違えば心配するのは当たり前」
それって……、私の少しの変化にも、気づいてくれたってこと?そう問いかけようとした口は、臆病ゆえか開くことはなかった。
「試験、開始」
試験管のその合図で、皆が一斉にシャーペンを持って問題用紙を開く音が講堂に響き渡った。私はその音に気後れしながらも、皆に倣ってシャーペンを手に問題用紙の一項を開いた。
(うわぁ……、最初から文章問題。難しい、)
最初の数学1の試験で今日の朝家で奮い立たせていたやる気が一気に萎んでいくようだった。それでも、何とか頑張って合格しなくちゃ。そうじゃないと、私は今よりもっと真宙くんの近くにいることが出来なくなってしまう。
2人の心の距離も、今以上に遠く離れていってしまうかもしれない。そういう不安が、私の実力を最大限発揮させたのか、全ての試験科目を受け終えてすっかりと太陽が沈みきった冬の夜。結構手応えのある結果に、私は安堵のため息を吐いた。
「真宙くん、受験お疲れ様でした」
「ん、ありがと。美穂もお疲れ」
こうして暗い中2人一緒に帰るのは、私が真宙くんに一緒に受験勉強をしないかという提案を持ちかけたあの日以来だ。だからか、何となく気まずい空気が彼と私の間に流れている。
「……私ね、きっと合格できると思うの。これで真宙くんと同じ大学に通えるね」
「……うん、そうだね」
勇気を出して、言ってみた言葉は曖昧な相槌を返されただけで終わった。先程から、真宙くんの表情が暗い。今が夜だからという理由もあるだろうけど、それだけじゃない陰りが見られた。
「私ね、大学生になったら真宙くんのバスケットとか見るの夢なんだあ」
「うん、」
「真宙くん、サークはバスケットボール部に入るって言ってたでしょ?私、そのこと覚えてたよ」
「……うん」
真宙くんの声色が、だんだんと低く小さな掠れた声に変わっていく。その微妙な変化が私には怖くて恐ろしくて、必死に会話をつなげようと新しい話題はないか試行錯誤を繰り返す。
「きょ、今日は星がきれいだね」
「……、」
遂には、言葉すら発しなくなった真宙くん。私の不安は、その瞬間最高潮に達した。
「真宙、く──」
「───…ねえ、美穂。俺たち、別れよっか」
突然に、唐突に、突きつけられた現実。こうなることは前々から予想できていたはずなのに、いざそれが現実になってしまうと、心が折追いついてくれないみたい。
「……っ、やっぱり、好きな人…とか、できちゃった?」
情けないほどに掠れた、涙を含んだ私の声。真宙くんにとっては、そんな私の声なんて聞きたくもないだろうに。真宙くんはしばらくだんまりを決め込んだ後、ようやく短いため息を吐いた。
「───うん、そうだよ。だから、もう美穂とは付き合えない」
「……っぅ、そ、そっか。そう、だよね」
泣いてはいけない。真宙くんの前だけでは、泣きたくても涙が引っ込んでしまうから、泣けない。
「ごめんね、美穂。そして、………今までありがとう」
「う、ん……っ。こちらこそ、ごめんね……っ。好きな人と、結ばれるといいね」
綺麗な心の人間を演じながらも、本当は私以外の人となんか結ばれて欲しくない、なんて最低なことを思っている私は、どこまで汚い女なんだろう。卑しい感情は、今すぐにこのまっさらな雪に溶かして綺麗さっぱり消し去らないといけないのに。
いつまで経っても、大好きだった人に振られた痛みは、私の中から消えてくれることはなかった。
春の陽気な天気。今日は、いつもより空の青が引き立っていて、清々しい空気だ。1月の受験シーズンから約3か月が刻々と過ぎ去り、私は桜散るこの春、受験して合格できた国立大学の入学式に参加した。そこにはもちろん、真宙くんもいたわけで。
一体どんな顔をして会えばいいのかと危惧していた私だったけど、そんな心配の必要もなく、その日は真宙くんと目が合うどころか、会話することさえなかった。
そんなの最初から分かりきっていたことなのに、それにざっくりと心を殺られて傷つきまくって。私は一体、何がしたいんだろう。「美穂、これ、お弁当。今日も大学頑張ってくるんだよ」
「はぁい……。いつもありがとね、お母さん」
「なに素直になってんだい。早く行ってきな」
「ふふふ、行ってきまーす」
こうやって家で明るく振る舞えるようになったのは、つい1ヶ月前ほどから。私が真宙くんと付き合っていたことを知っていた両親は、私の酷い落ち込みように別れたことに気づいていただろうけど、それを口にすることはなかった。
きっとそれは彼らなりの優しさだ。それを分かっているからこそ、いつまでも気を使わせて心配させてしまっていることに対しての申し訳無さが日々募っていく。
もう、平気だよ、だから安心して、の一言でも両親に言えたらいいのに、残念ながら私はそんなことも言えない。まだ完全に、真宙くんへの未練が消えたわけじゃないから。どこまでも恋々とした恋心を今すぐに消し去って楽になりたいと思うのに、頭のどこかでまだ彼を思い続けていたいという感情が湧き上がる。
どうやったら想いを断ち切ることができるのかのなぁ……。
そんな疑問に耽りながら、電車に乗って駅を降りて、ホームを通り過ぎて大学に向かった。
ああ、もう。私って、本当にツイてない。元カレが女の子に告白されている現場に、偶然居合わせてしまうなんて。しかも、その元カレというのはまだ私の想い人であって。一気に食欲が失われたよ。手にぶら下げた弁当袋がゆらゆらと揺れる。
とりあえず木の茂みの影に隠れて、2人の様子を窺う。大きな中庭で、1人女の子が顔を真っ赤にさせて真宙くんの方へと手を差し伸べている。
「もし良かったら、わたしと付き合ってください!」
その時、不意に真宙くんがこちら視線を向けた。茂みの中にちゃんと隠れていたはずなのに、バッチリと彼と目があってしまったような気がするのは、私の気のせいだろうか。
「……うん、いいよ」
真宙くんが、その子の告白を受け入れた。あれ……?真宙くん、好きな人がいるんじゃなかったの……?それともあれかな、その好きな人のことも今じゃもう好きじゃなくなったのかな。私と同じように……。私の中で築き上げられてきた真宙くんのイメージが、大学生になったと同時に変わり果てていっている。それも、悪い方向にだ。
真宙くんは、簡単に好きっていう気持ちは変わらない一途な男の子だったのに。今では1週間も経てば彼の隣を歩く女子はコロコロと変わり、誰が彼女なのかも分からないほどだ。
とにかく、私が好きだった彼がどんどん変わっていってしまうのをこれ以上見ていられなかった。
春が過ぎ、長い夏もあっという間に過ぎていき、秋の季節が到来した。食欲の秋とはよく言うものだと最近思うことが増えるようになったのは、うちのお父さんの食欲が最近半端ないからだ。
「ほらほら、美穂も沢山食べて元気をつけなさい。母さんが焼いてくれたサンマの塩焼き、相当美味いぞ」
「わ、私はもう十分お腹いっぱいだよ……!」
「ふんっ、そんな風には全く見えないがな!」
「ふぬさふっ、父さんたら。美穂を怒らせないで」
もう、お父さん子供みたいだよ。不貞腐れないで。そうやって家族3人で食卓を囲み、楽しい団らんの時を過ごした。
そのラインが来たのは、それからすぐのことだった。
【今から会って話せないかな】
これは、私が見ている幻影……?だって、こんなこと、現実には起こり得ないよ。別れを切り出した彼の方から、私の方にメッセージを送ってくるだなんて。しかも、内容が内容だ。さすがの私でも、信じられるわけがない。
そう思いながらも、結局私は僅かな希望を捨てきれずに、後から送られてきた指定の場所に向かった。
「……お待たせ。真宙くん」
「……っ、!」
私の言葉に、肩を揺らして明らかに動揺を見せた彼。私を振り返って、ベンチから腰を上げた彼は随分と背が伸びて、何だか前よりも痩せていた。
「……本当に来てくれるとは思わなかった」
「…はは、じゃあなんでラインなんか送ってきたの」
「うん、まぁ、そうだよね」
私の問いかけに、真宙くんは苦笑いで答える。彼も何となく気まずいのか、さっきから頭の後ろをポリポリと掻いている。それが何だか照れくさく思えてきて、私までその気まずさが伝染した。
「……それで、今日はどうしたの」
ここは、すぐ近くに大学病院がある公園の入口付近。公園では沢山の親子が遊んでいて、賑やかな喧騒や子供たちの笑い声が時折聞こえてくる。そんな中、私たちの間に流れる空気だけ何だか重かった。一向に口を開こうとしない真宙くんの言葉を、じっと待つ私。
「……まあ、な」
ようやく口を開いたと思えば、言葉を濁す彼は、珍しい。いつもはっきりと自分の思いや物事に対しての感情を口にする彼なのに、今日はそうはいかないのだろうか。
「真宙くん、本当にどうしちゃったの。私たち、もう別れたんだよ?それなのに、なんで今さら……」
早く彼から呼び出された真相を知りたいがために、わざと呆れた声を出して彼を急かす私。そんな私を見るのは初めてだったのか、真宙くんの目が大きく見開かれている。
「……強くなったんだね、美穂」
だけど、次の瞬間にはもう、真宙くんは優しげに目尻を下げて、感慨深げにそう呟いた。
「うん、そうだよ。私、誰かさんに振られたおかげで強くなったんだ」
真宙くんを挑発するみたいに、私らしくない言葉を連発する。どうして、私は今こんなにめ苛立っているのだろう。こんなの、いつもの私らしくない。
「うん、そうみたいだね。……今日はわざわざ俺なんかのために美穂の時間を割いてくれてありがとう。もう2度と、こんな真似はしないから、許して欲しい」
別に、そんなことを言ってほしかったわけじゃないのに。だけど、さっきの私の刺々しい言葉を聞けば、真宙くんがそういう言葉を返してくるのは当たり前だろう、とも思って、文句も言えなかった。
「ほんと、今日はありがとう。美穂に会えて、美穂の顔が見れて、本当に良かった」
なんで、そんなこと言うの。まだ私に気持ちがあるのかもって、期待しちゃうじゃん。だけど君は、期待させて、私をどん底まで落とすのが好きなんでしょ。だからもう、君との幸せは願わないって、その時私は覚悟を固めた。
「ごほっごほっごほっ……!!」
「ちょ、お母さん大丈夫!?酷い咳込み様だよ!?」
「……っう、大丈夫、よ。これくらい…うぉっほ、ゴホッゴホッ!!」
「ちょ、ちょっと!猿化してるって!病院行こう、今すぐに!」
秋が終わり、冬へと移り変わる季節の変わり目だからか、お母さんは風邪を引いてしまった。人よりも少しだけ体の弱いお母さんが体調を崩したから、大げさに心配してしまった私はお母さんを大学病院まで連れて行った。
「ただの風邪ですね。そこまで症状も重くないので、風邪薬と咳止め薬を処方しておきます。次回からは風邪を引いてもここには来ずに、保健所か保健センターに行ってもらえると助かります。ここは重篤な患者への手術を1番に考えている大学病院ですので。お金も保健所の倍はかかりますよ」
「は、はぁ……。分かりました」
お母さんのことが心配で病院を訪れたというのに、まさかの医師に説教されているこの状況は一体なんだ……?とにかく、凄く気分を害したのだけは間違いない。
受診料を窓口で払い終わり、後は薬局に向かうた病院の出口へと歩いていた。
「お母さん、大丈夫……?」
「ええ、もう平気。咳もだいぶ落ち着いてきたみたいだし……ってあれ?あの子って確か、植村真宙くんじゃない?」
お母さんの言葉に、「まさか」と思いながら、全く信じていない疑い100%の脳内でお母さんが指さした方向に目を向けたら、本当にそこに真宙くんがいたから、目が飛び出た。
「えっ……!?」
広い1階のロビーで、私の驚いた声は比較的大きく響いたからか、真宙くんが徐ろにこちらに視線を投げた。と同時に、バチッと視線が混じり合った。
「……っ、」
私の姿を捉えた真宙くんが、すぐに私に背を向けて反対方向に走り出す。
え、待って……っ。今、確かに私たち、目が合ったのに。
どうして私から逃げるように走っていくの。私が追いかけようとした時には、もうその階に真宙くんの姿はなく。真宙くんを見つけるというのを渋々と諦めて、お母さんと共に薬局へ向かった。
「真宙くん、どうしてパジャマ姿だったんだろう……」
「本当ね、言われてみると確かに」
私の独り言に、すぐさまお母さんが驚きの声を上げる。薬局に着いて、医師から受け取った、処方箋を受付員に渡し、名前が呼ばれるのを待っている時。私の脳裏に、ふとさっきの真宙くんの姿が思い出された。
「もしかしたら真宙くん、入院してるんじゃないかしら…?」
「ええっ……!?そんなこと、あるわけない…っ」
「どうして?」
断定した私をお母さんが不思議そうな目で見つめながら、首を傾げた。
「……っえ、えっと、その……。真宙くんは、健康だから」
いざ入院してないと言える理由を聞かれたら、意外にもそれはすぐには思いつかなくて、焦る。真宙くんのことを沢山知っているのは私だから、っていう自信が私に断定口調をさせているのかも。
「そんなの、今は分からないでしょ。体調を崩して入院しているって場合もあると思うし、……」
お母さんが言ったことは確かだった。だからこそ言い返せない。私が知っている真宙くんと、本当の真宙くんは違うのかもしれない。それに、今まで真宙くんが己の全てを私に話してくれていたという確証もない。
「……私、真宙くんに直接聞こうと思う」
「うん、それがいいわね。そうしなさい」
もうとっくの昔に分かれている元カノから心配されても、真宙くんにとってはいい迷惑かもしれないけれど、そう思われてもいい。私はただ、彼のことが心配なんだ。……どうしようもないくらいには。今さら会いに行っても迷惑なんじゃないかっていう不安は、薬局を出る頃にはもうすっかりと消えていた。
「この病院に植村真宙くんっていう男の子が入院していたりしませんか?」
翌日。大学病院の受付員さんに、私はさっそく真宙くんのことについて訊ねていた。自分でもここまで早く決めたことを行動に移したことはないってくらい。
「申し訳ございません。こちらとしては患者様の個人情報を伝えることができません。あなたはその方の親族か何かですか」
「……いや、その……。違います」
そう、だよね……。真宙くん親族じゃないのなら真宙くんが入院しているかどうかさえ教えてもらえないのが普通だ。こんな考えなしに突っ走って、馬鹿みたい。それよりも、直接ラインか電話をして訊ねればよかったんだ。
……だけど、それをしなかった理由は、できなかった理由は、私たちがもうカレカノでもなんでもなく、今はただの他人同士になってしまったからだ。だから、何となくラインも電話もしづらいっていうのが現状。
「それではお教えすることは不可能です。お帰りください」
「……はい、」
受付員の声が、こんなにも冷たく聞こえたのは、今日が初めてだった。とぼとぼと重い足取りで病院を出た。
今日はどんよりとした灰色の雲が空一面を覆い隠している。それだからか、なんとなく気分も上がらない。少し歩くと、前に真宙くんと話したあの公園の前に置かれているベンチが見えてきた。
そして、驚いたことにそのベンチの上には私が連絡したくてもできなかった、パジャマ姿の真宙くんが静かに座っていたのだ。
「…っ、真宙、くん?」
彼は私の声が聞こえたのかそれとも気配を感じたのか、こちらへゆっくりと視線を投げた。私の姿を捉えた彼の瞳がだんだんと大きく見開かれていく。